空と深海のインタールード -2

ラインリント・オルティナリスは、ユーエの同級生(――と、ほとんど学校に行かなかったユーエが認識しているのかは分からないが)にして同業者だ。ひとではない血が混ざっている彼女がハンターをしている理由は置いておいて、彼女はユーエとよく一緒に行動していた。ラインリントが勝手についていっていた、のほうが正しいのかもしれないが。
ユーエに戦斧を勧めたのもラインリントだし、ことあるごとにユーエの受ける依頼についていっていたのにも彼女なりに理由があった。今までずっと言わないでいたけれど。

「ユーエってコーヒー飲めたっけ」
「……あんまり、好きじゃない、けど、……えっと、砂糖とミルクがあるなら」
「あたしクソみたいに砂糖入れないとダメだからじゃあいけるねー」

正直なところ驚いている。辞めるのもそうだけど、その理由がどう考えてもたとえば怪我だとか身体的な理由でもうハンターやれないとかいうのではなさそうで、あれだけ死にたい死にたいって呪文のように唱えていたユーエはどこに行ったのか、目の前で椅子にかけてコーヒーを待つ彼女の目はきらきら輝いて希望に満ちているし、――こんな姿見たことない。
2ヶ月、仮に彼女がずっと眠りこけていたとして、こんな変化はありうるのだろうか。そうすればなおのこと、彼女が言った言葉が真実味を帯びてくる。
――『別の世界にいました』。

「砂糖自分で入れてねえ」
「……ありがとう、ラント」
「……あっやっとそう呼んでくれた!えっ、明日槍でも降るかなあ」

マグカップを両手で持って微笑むユーエには、よくよく見ればヘアバンドがどこにも見当たらない。
それよりも、今までずっとハンターとして一緒に戦ってきて、何回も、ラインリントって名前は長いからラントって呼んで、と言い続けてきたけれど、一度だってそう呼んでくれたことはなかったのに、突然どうして、という驚きのほうが強い。
2ヶ月の間に、何があったんだろう、

「――で、さ、ユーエ、早速だけどさ、何があったか聞かせてよ。来なかった間、さ」

問いかけて初めて、ラインリントは気づいた。
ユーエの左手の薬指の、いつも手袋をしてないほうの、それ。

「……うん、絶対、びっくりすると思う。わたしも、びっくりしてるし、信じられないかもしれないけど、ぜんぶ、ほんとのことなの」

深海色の瞳がゆらゆら揺れて、それから静かに言葉を紡ぎ出した。
停滞した物語の世界。停滞した物語を進めて、その間にいろんな人と仲良くなったこと。
優しい薬屋。鮫のぬいぐるみを抱えた少女。本を抱えたうさぎの獣人。格闘技を得意とするお嬢様。風を纏う青い勇者。本の化身だという青年。槍使いのおおかみさん。心優しい魔王とその仲間たち。勿忘草の精霊。銃使いの金髪の女性。まるで女性のような機械。半分ひとで半分機械の彼。
そして、

「大切なひとを、見つけたの」

2ヶ月はすべてそこに収束する。何よりも大切なものに、この身は縛られている。

「勇者、だって、彼は言った、自称でも何でもなくて、本当に、そう」

助けられた。生きる勇気をもらった。生きようと思った。死んじゃダメだと思った。彼のために生きなければと思った。
だから、危ないことはしていられない。

「大変なことが待ってる、けど、わたしはそれでもいい、って言ったの、……うん、ラント、もう気づいてるだろうけど、わたしね、」
「新婚さんなんすね」
「……う、うん」

彼女はいつだってそうだ。洞察力の高さは認めるし、それで助けられた局面も何度もあるからそこはすごいと思っているんだけど、もう少し遠慮とか空気を読むのを覚えてほしい。これをされると、なんだか内面に踏み込んでこられたような錯覚を覚えるから、ユーエはラインリントを相手にするのがあまり好きではなかった。
コーヒーを一口啜ったラインリントが、申し訳なさそうな顔で、ごめん続くなら続けて、と零した。

「……分かってるなら直してよ」
「癖だよ、気をつけてるつもりなんだけどあたしせっかちだからさ……、うん、ごめん、ほんとごめん。今までも、ごめん」

自覚はあったらしい。
そうすると今度は自分のほうが申し訳なくなってきて、苦しくなる。今考えると彼女に聞きたいことはだいぶたくさんあって、――もっと言えば、彼女の家が古本屋じゃなかったら、きっと。

「だいじょうぶ、ラント、だいじょうぶね、わたしの方こそ、ごめんなさい、しなきゃ」
「えっなんで、何急に」

ラインリントの青い目が、彼と被って見えた。海の深みの、何より一番好きな色。

「ラントのおうちが、古本屋じゃなかったら、きっとあの本には、出会ってない」

無名にして無題、そして白紙の古びた本。あの世界に繋がる鍵は、いつだったか幼い頃、学校に行ったフリして入り浸った古本屋の店主から譲り受けたものだ。白紙の本に買い手がつくわけもなく、適当なところに置かれていたその本がどうしても気になって、白い空間に自分だけの物語を刻める気がして、食い入るように見つめたあの日に、何もかもが決まっていたのかもしれない。
その古本屋の店主はラインリントの祖父であり、それが故にラインリントは、ユーエのことを同級生として認識し続けることができた。彼女の目が死んでいく過程は、よく見ていた。

「なのに、わたしは、今まで、……今まで、ラントのこと、嫌い、だった」
「……知ってた。じいちゃんの本屋に来てた時だって、あたしがハンター始めた時だって、すっげえ嫌そうな顔してたもん」

ラインリントは、知っている。
ユーエがどんな仕打ちを受けてきたかを知っている。得体の知れない深海の色は昏く深く淀んでいて、あなたが余計なことしなければ死ねたのに、なんて言われたこともある。けれど、どうしてこんなに今、彼女の目が輝いていて、淀んでいた色がきらきらしているのかは、知らない。

「……ごめん、ね」
「いいよ。しょうがないもん。あたしは今さっきユーエが、ラントって呼んでくれたことの方が嬉しいから、さー」

憂いの色で伏せられた藍色の瞳に、微笑む。それから、問いかける。

「聞きたいことありすぎてやばいんだよね、だから続きはよ、だよ、あとコーヒー冷めるよ、……っでさでさ、旦那さんってどんなひと?ねえねえ」

彼女がここまで変わった原因は、間違いなくそれだ。確信があった。一体どんな人が彼女の心を捉えて離さないのか。勇者、だとか言っていたけれど、人となりだとか、その辺が気になってしょうがなかった。きっと、ユーエがハンターをやめたら、ラインリントと関わる機会は相当減ってしまうだろう。もしかしたら、ユーエもそんな感じで思うところがあって、ラインリントをあの場から追い出さなかったのかもしれない。
自分だからいいや、とかそんな感じで思ってくれていたのなら、それは。

「……どんな、ひと」
「そうそう、勇者、でしょ、かっこいいの?ねえねえかっこいいの?」
「かっこいい、うん、とても」

いわゆるガールズトークに花が咲く。ラインリントはそういうのがとても好きだ。ユーエが本当に嬉しそうに、顔を綻ばせて話すものだから、釣られてラインリントまで、なんだか嬉しくなってくる。
ふっと、ユーエが顔を上げて、真剣な顔をする。

「……んああ、なに?」
「ラント、は、魔法が、使える、んだよね」

わたしは彼の役に立ちたいの、と、彼女はそう言う。その為だったら何だってしたい、その真剣な藍色の目と、決意の篭った表情とに、気圧される。
恋は盲目、さながら狂信者かなにかのように、ただ一途に、ラインリントの目の前の彼女は、決意を語った。

「怪我して帰ってくるかもしれないから、わたしが治してあげたいの、わたしのところにいる間だけでも。わたしが、アルを、」

癒せるように。
彼の帰ってくる場所が、自分になるように。自分が彼にとって、疲れた翼を休められるとまり木になれるように。

「お、おう、うん、……ユーエって、あれ、検査受けたことあった?」
「検査?」
「……ごめん、やるの学校だ」

早くも自分の計画(と言っても、ほとんど思いつきに近いのだけど)が暗礁に乗り上げた気配がして、ユーエは眉を顰めた。
この国の人間で、魔法を使える人間はかなり少ない。それ故その素質がある人間を見抜くために、ある年齢から学校の健康診断に魔力の有無を調べる簡単な検査が増える。あるという結果が出れば、さらに詳しく検査を受けたのち、適性があると判断された子供は、国が用意している特別な教育を受けることができる。いわゆるエリートコースのようなものだ。
ただそれはあくまで純粋な人間の話で、ラインリントのようなひとでない血が混じっているせいで魔法が使えるようなひとは、そもそも検査を受けることもまずないのだけど。
――ユーエは、その検査を受けるより早く、学校に行けなくなった。

「……う、うええ」
「いや、なんか、当然だけど、ユーエにそういう素質なかったら多分無理だ、少なくともこの世界では……、あ」

無理を言っているのは分かっているけれど、それでもユーエは譲りたくなかった。何のために、薬屋から本を譲り受けたのか。結局それもあまり読み進められなくて(――植物はあまり好きじゃないのが、だいぶつらい)、だから魔法に頼ろうとしているわけではないけれど、使える選択肢は増やせるなら増やしておきたかった。
難しい顔をして唸っていたラインリントが、ふっと何かを思いついて、ぽんと手を叩いた。音に反応してユーエの目が見開かれる。

「なんとかなるかも。気持ちを変換して、魔力にする道具は、あるんだ。あるんだけど、……あたしはあんまりおすすめしたくはないんだ、」

ラインリントは一度言葉を切って目を細めた。
ユーエがどこまで本気なのか知りたかったし、それに本当に言葉通りに、おすすめしたくはないシロモノなのだ。かつてつくられようとしていたらしい、同じような能力を持つ生き物のそれと比較して、ただの道具でしかないそれは、制御できるのは自分しかいない。止める意志はひとつだけだ。どこかで階段を踏み外したら、転げ落ちて行きかねない。

「できるなら、それでいい、わたしはどうなったって、」
「……そういう考え、やめなよ、やめたほうがいいよ、旦那さんが悲しんじゃうよ」

彼女のこの自己犠牲は、どこから、来るのか。
そう言い聞かせれば伏せられるだろうと思っていた藍色の瞳は、変わらずラインリントを見据えていた。

「……わたしは、アルのために生きるの、そのためだったら何だってするの、だから」

何を言っても無駄な気がした。そして、どうしてそこまで彼の為に、ということに固執するのか、聞いても教えてくれない気がした。間違いなく、彼女を焦らせる何かが、ある。たとえば期限付きの愛なのだろうか、だとしたら、だとしたらとても、残酷な仕打ちだと思う。

「分かったよお……なんかよく分かんないけど、なんかありそうだしさ、あたしからの結婚祝いってことにしてあげる」
「……ごめん、ありがとう、」
「そうと決まれば早速準備に行こうー、かむかむ!付いてきて」

深く考えるのはやめることにした。


すっかり日が暮れてから、ユーエが自宅に戻ったころには、家の半分以上のものが片付けられていた。エルキャンベルの三人に頭が上がらなくなりそうだった。あと姉。
それでももう何日かはきっとかかるだろう、と、リーリオが言う後ろで、フレサとアルムがご飯を作っている。

「……えっと、ごめんなさい」
「構いませんよ。そちらこそ何とかなりました?」

リーリオの言葉に頷けば、明日からはこちらを手伝ってくださいね、と続いた。ご飯が出来るまで自分の部屋で休む、と言い残して、奥の部屋に消えていくユーエを見送ったところで、何も言わずに眺めていたメリーが、不意に口を開いた。

「なあ兄ちゃん、ユーエさん魔導具持ってたぞ」

リーリオたちの中で唯一、魔の素質があり、そして今ここにいる誰よりも間違いなく、それに敏感なのはメリーだ。

「……それがどうかしたのか。なにか問題があるようなものなのか」
「問題になる可能性は少なからずあるもの、だったよ」

アルムの訝しげな視線が、即座にメリーに飛ぶ。飯でも食べながら話聞けばいいよ、とかわせば、すぐその視線は止んだ。
一息ついたメリーに、今度はリーリオが問いを投げかける。

「……まあそれはともかくとしてな、どんなタイプのものだったんだ」
「変換系」

強い思いに反応して、それを力に変えるものだ、と。
そこまで聞いただけで、彼女がそれを求めた理由が、なんとなく分かった。ここまで来る道中に散々彼女は言っていた。アルの役に立ちたい、と。だからいま一生懸命考えてるの、と。どうやったらいちばん、彼の役に立てるのか。
何がそこまで彼女を駆り立てるのか、きっとアルムも知らないだろう。

「ああ、まあ、大方旦那がどうだ何だってところか、……幸せそうだなー」
「……だなー。兄ちゃんも頑張れ」
「兄ちゃんはすでに心折れそうだけど頑張るよ」

アルムが思いっきりくしゃみをした。

20140419
リーリオは無意識の1年前くらいまでアルムに振られることn回(決めてない)とかいう強靭な精神の持ち主です
無意識別ルートでアルさんを拾っていたかもしれないラインリントをようやく出せたので満足はしてます。
あとは3期ユーエの謎装備の理由付け。