一揆参戦16日目

『……ねえ、じゃあお母さんとユーエはどうなるの』
『どうもこうも、向こうに残ってるしかないだろう、俺だって想定外だ、……』

隣の芝生は青い。
ネイトリエとシエンティカの間の不穏な空気は確かすぎるくらいに渦を巻き、その空気は両者の繋がりを完全に断ち切らんとしていた。
スズヒコには政治がよくわからない。けど比較的最近に、シエンティカ側で大臣だか何かが大きい入れ替わりがあったらしいことは知っていた。そのせいか、なんなのか。聞くにネイトリエとシエンティカの間でのなんとか協定だかが破談になって、シエンティカ内部も保守派と急進派で割れているとか、今は急進派が力を持っているからなんとかとか、――要は、とにかく、ネイトリエからリラとユーエが来る手段が失われてしまったというのが何より大きい。今は。

『……なに、大丈夫だよ、一時的なものだろう』
『……お母さん……ユーエ……、……』
『ごめんな、アルム』

抱き寄せた娘の肩は、小刻みに震えていた。

『寂しいかい』
『――お母さんと、ユーエと一緒にいれないのはさみしい』

けど、と。
父についていくことを決めた日に言い放ってきた言葉を、彼女はもう一度繰り返す。

『わたしは自分で、おとうさんについてくって決めたから……だいじょうぶ。わたしがむしろ、おかあさんの代わりになって、おとうさんがさみしくないようにしてあげてもいいわ!』
『……はは、アルムは強い子だね、ほんとうに』
『だってわたしがいちばんすごいもの。ユーエにだって、他のおともだちにだって負けないわ』

胸を張る娘がなにより頼もしく、申し訳なくもなりながら、そっと抱き寄せる。

『お父さんも頑張るよ』

ネイトリエから来ました、ってだけで嫌悪の視線を向けてくるひともいたけれど、それにめげないようにしようと心に誓った。
誰に似てアルムは強いのだろう、――それは間違いなく、

『(――ごめんな、リラ)』

妻と下の娘が暫くこっちに来れそうにないことを理解して、――最悪の場合大人になるまでの別居も覚悟したのが、下の娘が学校に通い始める少し前の事だった。
アルムは、ほんとうに強い子だった。


――


学業優秀にして容姿端麗(――これはちょっとアツい親馬鹿なのかもしれないけど本当にそうだと思っていた)、かと言って全く運動ができないというわけでもなく、それでいて明るい性格でクラスの中心人物足りえる、「ネイトリエ出身」の女の子。
折しも情勢は悪化の一途をたどりつつあり、(苗字がネイトリエの一部地域でしか見られない特徴的な字を使っていたこともあって)アルムは確実に学校内での憂さ晴らしのターゲットとして目をつけられていた。……手を出されることは実に稀だったようだが。
それもそのはず、

『ばかじゃないの?あんたの言ってることわけわかんない』

よくわからないいちゃもんをつけてきた男子を足蹴にし、容赦なく顔面を殴って相手に怪我をさせる程度には、アルムは血の気が多かったのだ。
スズヒコの職場の研究室に電話が飛び込んだ回数は両手ですら収まらない。
クラスの中心にいるのがネイトリエ人なのが気に食わない生徒のうち、果たして何人が実際にネイトリエ人にぶん殴られたのか。

『……アルム』
『はい』
『せめて言論での殴り方を覚えなさい、物理はいろいろと面倒だからやめてくれ』
『だって言葉で殴ったところであいつらバカだからなんも分かんないのよ!!それだったらグーの方がずっと手っ取り早いしめんどくさくない!』

スズヒコも手を焼いていた。とても手を焼いていた。
実際アルムが私物を隠されたり盗られたり、そういうことをされているのは把握していたが、それを自分で、しかも力技で解決するんだから――

『言ってることは分からなくはないけどねえ、おまえが!!他の人を殴ると!!お父さんに連絡が来て頭下げに行かなきゃいけなくなるのはもう何度も』
『でも相手の親の前でひとのもの盗ったりなんだりするようなやつだっていうのを言うのはほんとうに効果がある、……こともあるわ』
『逆効果なこともあったろ』

ここ最近はすっかりアルムの通う学校から電話があった、というのが同じ研究室の誰かの耳に入るだけで実ににやにやされるし(――いる研究室が、国による偏見みたいなものがなくて本当に良かったとは思っている)、そのあとちょっと抜けますと言えばお疲れ様ですだのなんだの言われるし、そろそろいい加減にして欲しいところではある。

『……とにかく気をつけてくれないか』
『気をつけてはいるの。わたしになんかしてくるから、いけないのよ』
『……ああ、もう――』

まさか生まれた国が原因で誂われるなんて。
自分は髪の色でさんざ誂われたりはしたが、それと果たしてどちらがいいのか、

『上の学校に行くときは、たくさん勉強してバカのいないとこに行く。今のところバカばっかりでいや』
『うん、それは……頑張るといいよ。ほんとうに』


――


手紙が来る。
大体月に一度、リラが手紙を寄越してきていた。

『お母さんからのお手紙?』
『ああ、うんそう……ほら』

スズヒコが浮かない顔で差し出した手紙を見る前に、表情でもう大体の察しはつく。

『またあんまりよくない話』
『ユーエはお前と違っておとなしいから仕方なあい゛っだ痛い!!アルムちょっいだだだだ』

伸びてきて結ばれたスズヒコの髪の毛を容赦なく引っ張りながら、アルムは母からの手紙に目を通した。
母と妹の近況報告。妹の体調はそれなりに良くなってきていること。妹が学校でいじめられているらしいこと。それでなかなか学校に行きたがらないこと。
それはよくよく見なくてもアルム宛に書かれたもので、自分の身を気遣う文面で締められていた。
アルムは知っている。父親宛の、もっと難しくて、もっと問題っぽいことが書いてある手紙があることを。知っている。きっとユーエはもう学校に行かなくなるだろうことを。大人しくて引っ込み思案なユーエがいじめられ始めた原因が、自分に似た正義感か何かで誰かを庇った結果だということを。

『ねえおとうさん』
『……うん?』
『どうしてユーエは一緒に来なかったの?』

手紙を畳んで、父を見上げた空色の目が揺れる。

『シエンティカは空気があんまり良くないんだよなー……ほら、ユーエ、よくげほげほしてたろう』
『してた』
『一緒に来てたらたぶんもっとひどくなってただろうから、さ』

じゃあ仕方なかったのね、改めて納得したように俯いた頭を撫でて、それから互いの空色の瞳がまっすぐに合う。
こん、と突き合わせた額にほんのりあたたかみが伝わってくる。

『ごめんな』
『お父さんが謝らなくたっていいわ』

誰に向けて謝っているのか、自分でも分からなかった。


――


そのいきものは、黒いビニール袋に詰められて、無造作に放り捨てられていたという。
なんか動くビニール袋が、とか言って袋を研究室に持って帰ってきたのは一番若い研究員で、そういう面白いこととか変なものに目がない研究室一同がそいつのデスクに集まって開封作業がされたのが今さっき。
中から出てきた白い蛇のようないきものは、弱ってこそいたがまだ生きていた。30cmくらいのそれは、何かの胚のようにも思えた。それを否定したのは、そのいきものから生えている触手とか、外側を覆っている(恐らくセルロース由来の)被嚢だった。

『……なにこれ』
『何これ』

一番年配の(ただしボスではない)研究員が、そういえば、と話し出す。
かつてこの研究所で行われていた限りなく黒に近いグレーの研究、それの残りカス――というより処分することになった生き物ではないか、と。
動物愛護の精神に則って、行ってはいけない実験が存在する。その対象の動物の枠を絶妙に外れた、そもそも動物として定義することもすこしばかり怪しい不思議な生き物、エオクローナ。かつてどこからかその個体を一匹手に入れた人がいたらしく、それのクローンを作って様々な実験をしていたという。法改正に伴って黒の判定を受けてもおかしくなかったから、データもその生き物も放棄されたのだろう、と、言うのだけど。

『ちょっと放棄の方法雑すぎない?』
『わかるわー生きてんじゃんこいつ』

なんとか残っていたデータ曰く、免疫系に異常のある系統で、外に放り出せばあっさりと死ぬはずの系統の一個体、――免疫系に異常がある、即ち他の生物の組織だろうと容易く受け入れる系統。見た目と照らし合わせて納得は行ったが、では何故生きているのか。

『どうすんのこれ』
『……飼ってもいいんじゃない、ここで』
『スズヒコさん何言ってんすか』
『いや普通に可愛いし……あとお前拾っといて捨てるの最高にないと思う』

覗きこんだ空色の瞳に、白い生き物が顔を上げた。

『なに、俺らはお前をどうこうしたりはしないから』

スズヒコが指先でほんの少し触れたそばから、その生き物のたてがみの色が緩やかに変わっていった。


――

第47回更新
物ドール Lv.30/物シルフ Lv.25/物ケットシー Lv.25/物コルヌ Lv.40/物パロロコン Lv.20/物フラウ Lv.19/物ヘカトンケイルLv.1
CLV 4288
MHP 10672/STR 578/INT 206
MSP 958 /VIT 246/MND 280
PSP 76 /TEC 916/AGI 758