一揆参戦8日目

崩れていく。
今まで頼ってきた旅する意味が崩れていく。

『いろんなところを見てきて、それをわたしたちに教えてほしいな』

それだけのために今までやってきたのに。
何もかも無駄だったというのか。
それとも自分の予測が甘かったのか。人間の寿命を買いかぶりすぎたのか。

「……そう」

取り繕ったドライな対応は、電気石と時空の精霊にどう映ったのだろう。

「飼われてたっつったっけ。……まあ、ほら、人間なんて、脆いから」
「それは知っている。教えてくれたことには感謝するよ」

ヒトは脆い。ホモ・サピエンスは本当に脆い。それはパライバも知っていた。外的にのみならず内的にも簡単に崩壊し、そして自死を選択する、そんなヒトもいた。身近でそれは見たからだ。先生がどんどん戻れない方向に駆け抜けていくのを、パライバは間近で見ていた。

「ただまあ、いい母親だったんじゃねえのかなたぶん。ユーエは慕ってたみたいだったしな」

知りうる事実は緑柱石を救うのか、それでも話さずにはいられない。
ゆらゆらとヘリオドールの触角が揺れて、それから翅が不均翅の蜻蛉のごとく伏せられた。

「へえ。あのじゃじゃ馬、ちゃんと母親できてたんだな……」

感慨深げに伏せられた星の瞳はもはや多くを語らない。
パライバが読み取れたことは、なにもなかった。

「僕の問いたいことはもう十分出尽くした、じゃあ」
「ぼくはまだ、まだある、待ってくれヘリオドール」

引き止める声、交錯する視線。これ以上何を問う、と言いたげな瞳と、縋るような目。

「お前はぼくのことを、紛い物だと言ったな、ならぼくは。ぼくは、――ヘリオドールと、ヘリオドールたちと、祖を同じくするものなのか」

自分のルーツを探す旅。答えが今目の前のいきものによって齎されるのだとしたら、それは大きすぎる前進だった。
ヘリオドールはなんのためらいもなく口を開き、

「そうだ。けれど、あいにく僕も、自分の種族のことについては詳しくは知らない」

今語れることは、探し回れば元の世界、いや世界樹には、ヘリオドールたちの種族は少なからず存在するから、探せばよく知るものに会えるだろうことくらいしかない。
そう言えば、それでもパライバトルマリンはどこか嬉しそうな顔をする。プラスチックケースの中で生まれたいきものがようやく掴んだ頼りない手がかり。

「それでもいい。ありがとう」
「ふん。――何か知るところになったら、教えてやらないこともないよ、……君たちがメルンテーゼにいればの話だけれど」

今度こそ夜の闇に身体を溶かして、どこかへ去っていくヘリオドールを見送って、安堵の溜息がひとつこぼれて、張り詰めていた緊張の糸がぶち切れて、脱力する。脱力した白い身体に伸びてきた小さな手を拒む力も理由もなく、精霊の腕の中に収められた。
優しく鬣が撫でられていく。

「あー疲れた」
「よかったね、パラくん」
「まあな」

呼吸をひとつ、ふたつ、得られた手がかりはずいぶんと大きいように感じた。
方針が少なくとも立ったのだから、あとはどうにでもなりそうな気がして。

「これからどうするー?まだいる?」
「ぼくはそうしたいな……ムトラは好きにすればいい。ぼくはメルンテーゼを、もうちょっと見て回るぞ」
「んふふーじゃああたしもついてこー」

もみくちゃにするでもなく、優しく擦り寄せられる頬が柔らかい。偶にもたらされる安らぎは、彼女から受けるイラつきを、適度にどこかに放り投げてくれる。
だから彼女を無碍にできない。

「じゃあ、明日は森にでも行こう」
「いいよー」

星天の下、青色が二つ揺れる。


――


拠り所は実にあっさりと失われてしまった。得られるものはあったけど、それより失ったもののほうがずっと大きい。今更気づいたことは、それほど自分がアスター家に依存していたのか、ということだった。
手段はないわけではない。リラの娘たちを拠り所にしてしまうのが一番手っ取り早くて簡単だ。ただ、ふたりとも結婚した、と言っていたから、それはどうにも気が引けてしまった。一目会うくらいはしてみてもいいのかもしれないけど、会ってどうするというんだ。

「僕は」

何のためにここに来たんだろう。
今まで何をしてきたんだろう。
これからどうすればいいんだろう。

―― こう おもったのは はじめてではないような

「……僕は、」

思えばリラと会う前自分は何をしていた?それを思い出そうとして途中で放り投げていたのを思い出す。
致命的なくらいに頭から抜け落ちている“ような”気がしている。

「僕は、……――私、は」

何が足りないのだろう、

「――ぁ」

――足りないのではなくて、元から、ないのでは?


  緑柱石、さあ!  
  もう君を縛るものは何もないよ、好きに、好きに生きていけばいい……  



私はいつからこの姿でいた?
辻褄が合わない。合わせようとすら出来ない。致命的な欠落、もしくは最初からの無所持、どちらにしても頭がおかしくなりそうで、ぐるぐるする。
気づかないほうが良い所に気づいてしまったのでは?――そう、たとえば、自分たちはどうやって増えるのか、親は、その類のものは、いないのか、パライバトルマリンの言うように、虫や魚と同じような産みっぱなしなのかそうじゃないのか、疑問だけが湧き出てくる。
言語化できないなにかが、じわじわ、取り乱しそうになる――

「僕は、緑柱石、ヘリオドール・アスターだ」

それ以上でも以下でもない、はずなんだ。


――


「ご都合主義、と言われてしまっても、ボクら観測者はせっせと働くしかないのだ、わかるかなノカ」
「それはもうご都合主義……俺達のどうこうできることではなく、判断は画面の向こう側……、と。レイトリーデ。一に緑柱石、それからもうひとつ……で、合ってる?」
「合ってる合ってる〜」

そこにいたのは、大犬と竜のようなものであった。
大の大人ほどの体長はあろうかという深緑の毛並みの四足の獣を従えるように歩くのは、白く大きな身体と、それを宙に浮かせるには大分小さな翼を持ついきものだ。その白いいきものの骨格は、ヘリオドールによく似ている。決定的に違うのは、その大きさだった。大犬よりも遥かに大きなその体躯は、ざっと三メートルはあるだろうか。

「実に興味深いんだ、もうひとつのほう……ボクらの知り得ないボクら、偶然の産物、もしくは技術の落とし子……」
「興味があるのはよく分かったけど、先に潰すべきは緑柱石だよ、氷長石」

歩みが止まる。白いいきものに歪んだ笑みが形作られて、見下ろしてくる。

「ノカくーんボクをその名前で呼ばないで?アデュラリアはお休み中なんですー、今のボクは確かに昔のとおりにレイトリーデ・レーヴァンクルス!よい?」
「あっはい……、開店休業中のアデュラリアさんですが、恐らく緑柱石の前でその力を発揮せざるを得ないでしょう」
「知ってるよ」

軽快な言葉のやり取りの裏に静かに重い空気が漂い、二匹の歩みはじわじわと遅くなる。
レイトリーデと名乗った白いいきものの触角が、ゆらりと揺れた。そのまま一つの方向を指す。

「ノカはずるいな……、結局君はいつまで経ってもネイムレスのままだ」
「そのほうが都合の良いこともあるから」

そちらに向かって歩いていく。
氷長石の歩いた足元が、じんわりと霜に覆われていく。歩いた先からそうして霜に覆われては溶け、を繰り返す足元、ふっとそれに気づいたレイトリーデが軽くジャンプすると、一瞬強く冷たい風が吹いて、気づいた時にはその姿は手のひらサイズにまで縮んでいる。

「うわお前やめろよそれほんと」
「ひゅー!ノカもふすんぞー」

そのまま大犬ノカの背の長い毛に潜り込んでくることまで想定内なのか、ノカは地を蹴って駆け出した。
たん、と地を蹴れば軽く建物の二階まで跳び上がって、そのまま屋根の上を、走る。軽快な一連の動作から、すっと足を止めて立ち止まった時には、視界の中に惑う夜色のいきものが見える。

「かわいそうに」

気づかなければ何も起こらなかったのに。

「やっぱりさあ、今の生殖方式って不都合が多いなって思うんだよねー、進言してみない?」
「不都合?そんなに多いかな、少なくとも亜成体にまで至る個体が増えたのは評価するべきだ」

ノカの毛から這い出た小さなレイトリーデの周りで風が渦巻き、止むころには大きな姿に戻っている。
それと同時にその小さな翼が凍りついて氷柱のように伸びていき、鋭利な長い羽構造を作っていく。

「変態後の記憶処理過程をもう少し何とかするべきだと思うんだよ、何かあるたびに観測者を放ればいいと思ってるのほんとクソだと思う」
「それはちょっと思うけど、どうにもならないんじゃないか……今のままを続けている限り」
「同じことを何度も説明するのがめんどくさいんだよ」
「お前ほんとなんで観測者やってんの?」

見下ろす先の夜色が、力無く頭を垂れたタイミングで、2匹は静かに屋根を蹴った。

第39回更新
物ドール Lv.30/物シルフ Lv.25/物ケットシー Lv.25/物コルヌ Lv.5
CLV 3521
MHP 7250/STR 292/INT 177
MSP 613 /VIT 190/MND 209
PSP 39 /TEC 436/AGI 298