『もっと元気で、明るく強くなれたら良かったのに』
さあこれからどうしよう、メルンテーゼの一揆とやらはまだまだ終わりそうにないし、勇者を祖に持つというスライムに手伝ってもらった結果のエンブリオも手元にあるし、電気石と時空の精霊には、この世界にいるというなら知ることが増えれば話そうとまで言ってしまった。エンブリオは最悪自分の力として持ち帰ってしまえばそれで済むが、約束はそう言う訳にはいかない。
そう、ゆらゆら思考を巡らせていたときだった。
急激に気温が下がる。
足元が凍りつく。
紫電が目の前を弾け飛ぶ。
「っ、な!?」
凍り行く足元に自身が巻き込まれる前に、翅を広げて飛翔すれば、降ってくる影がふたつばかり見える。
大柄な四足の獣と、――
「な、おまえ、は」
触角が告げる同類の気配。それも間違いなく今の自分単独ではどうにもならないそれ。逃げるしかない。
触角の先端から激しく発された閃光が、ふたつの影の網膜を焼くはずだったのだ。
「緑柱石ヘリオドール。抵抗は無意味だ、――我らエオクローナの観測者に、お前は傷ひとつつけられまい」
「そーそー大人しくすれば別にそんなしばいたりしないってー……今のままじゃあ、とっても無理そうだろうけれど!」
迫る白い尾がヘリオドールを弾き飛ばし、背中から木に叩きつけられて息が詰まる。飛ぶには飛べるはずだと二度広げた翅が、急に重くなった。冷たい。
横目で見た翅は一瞬で凍りついていた。
「くそ、」
翅は所詮飾りである。やろうと思えば十分に、翅を動かすという意識がなくとも、空は飛べる。そう思ったのも束の間、次に道を遮ったのは大犬だ。
「逃げても無駄だ。どれだけ逃げたところで、同種の俺達からは逃げられない」
言葉を聞いて、もはや抵抗は無意味と察した。
パライバトルマリンの存在を察知したのと同じように、どれだけ目をくらませようが、どれだけ遠くに逃げようが、彼らからは逃れられない。そういういきものなのだ。
――ということを果たしていつ知ったのか、
「最初からそうしとけばいいんだよ、おとなしく」
「……ぐ、ッ」
「無理だよこの子には。そういう気質だ」
何故彼らは自分のことを知っているようにモノを言うのだろう。
それとも本当に知っているのか?どこかで会ったことがあるのか?
「さて。緑柱石ヘリオドール、君のもとに俺たち観測者が現れた理由を説明しよう。目的は君の」
「観測者だかなんだか知らないが、僕はそんな監視下のもとにいた覚えはない!」
そもお前らは誰だ。会ったことなどあるわけない。記憶に無いからだ。当然のことだ。
そんな意味を込めて睨みつける視線を、鼻で笑い飛ばしたのは白いほうだ。
「よく言う、これだから内部寄生型は面倒だ」
嘲笑するのは冷ややかな視線。ただでさえこの白いやつ、どうやら冷気を操るようで、先程から周囲の空気はひんやりと冷たい。そして恐らく翅を凍らせてきたのもこいつだ。
完全に見下した態度の白いのに比べて、大犬の方は実に落ち着き払っていた。
「レイトリーデ?すこし黙ってもらっていいか、お前は火にガソリンを注ぐ」
「気化してとっくに焼け野原だろ」
まだ話が分かりそうな方の大犬に向き直る。
深緑の毛並みは整っているとは言えず、穏やかなのか鋭いのか図りかねる瞳が、光なく視線を投げかけていた。
「……まず名乗れよ。僕はお前らのことなんか欠片も知らない」
「エオクローナの観測者、ノカ・オートロイスだ。名乗る名はない。あっちの白いのはレイトリーデ。レイトリーデ・レーヴァンクルス、氷長石アデュラリア。君と同じ種族だ。ご尤も俺は大してそうは思えないかもしれないが、レイトリーデを見ればそう思うだろう」
ヘリオドールとレイトリーデの骨格的な差異は確かにほとんどなさそうで、一番大きな違いはその体躯の大きさだった。レイトリーデのほうが遥かに大きいのだ。
体色だとか羽構造とかそういうものは個体差が大きいと記憶していたから納得はするが、ここまで体格差があるとは、さすがに驚く。
「しばらく一方的に俺達の事にについて話す。あとから質問攻めにされるほうが面倒だから、そうさせてほしい」
そう言うと、ノカはその場に座って静かに語り始めた。
――
黎明の世界樹エーオシャフト、それがヘリオドール自身も無意識に「世界樹」と呼んでいた、自分の世界の名前だという。リラやスズヒコがいた世界、つまり自分が元いた世界、すなわちエーオシャフトの葉の一枚は、双世界バイポーリスと外側からは呼ばれており、やはり伝承通りに二つの世界があるとき融合してできた世界(故にその名前がついた)だと。
そしてそのエーオシャフトの根元の小さな世界が、ヘリオドールたちの本来の出自の世界であり、そこから四方八方の世界樹の葉へ散らばっていく。故に訪れたことはなくても、本来普通に暮らしていれば気づかない、世界は一枚の世界樹の葉であることを本能的に知っている。
「エーオシャフトの住人のほとんどは俺たちエオクローナであり、エオクローナ同士は例外なく少し気を張れば、同じ葉の上であればどこにエオクローナがいるのかは簡単にわかる」
「……エオクローナ」
初めて聞いたはずなのにそう思わないのは何故だろう、ようやく自分の種族名として名乗れるだろう情報を手に入れて、ひとまずは安堵する。
エオクローナは世界に「いる」ことが唯一の仕事であり、それ以上のことは求められない。何故ならエオクローナもまた、変質した世界樹の葉の一枚であるからだ。まさに植物の葉のごとく、その存在がエーオシャフトに養分を与える。
「ごもっともそんな自覚はないだろう。よほど何かがなければ、エーオシャフトは多量のエネルギーを必要とはしないからだ」
「……つまり僕らは最初から、生まれた時から集団の一部だったとでも言うの」
「その通りだが、最初から集団の一部として生まれるエオクローナは多くない。レイトリーデはそうだが俺は違う。もちろん、君もだ」
エオクローナの増え方を説明しなければならないね、とノカは言った。
ざわざわと心が小波立つ。自分の本質に近づいていく。今ならまだ戻れるのでは、知らないほうがいいことはきっとこの世の中にたくさんあって、
「……続けて」
踏み出す。もう戻れない。
「エオクローナの取る生殖形態は二種類あり、ひとつは所謂有性生殖だ。説明はいらないだろう、――もうひとつは、内部寄生」
ざわり。
「エーオシャフトのごく若い若葉、もしくは種を植えられたあらゆる生命体が、身体的にあるいは精神的に死ぬとき、エーオシャフトがすべてを作り替え成り代わる」
ざわ、ざわ。
「身体は当然のこと、記憶も精神も何もかも、エーオシャフトが全てを奪い取る。そして新しくエオクローナを産む。内部寄生エオクローナは、自分の本質に気づかないままに死んでいくものが多いけれど」
言語が理解できない。
いや、捕食寄生に限りなく近い何かであることは理論として理解できる。ただそれが?自分であると?
「有性生殖エオクローナはあまり発生率が良くないため、それをカバーするための内部寄生なんだが、まれによくまさにこんな感じで不具合が起こる」
エオクローナと成る以前のことを断片的に思い出した場合、放っておくと気が狂って枯れるから、ノカとレイトリーデがその処置をするのだと。
なにか質問はあるか?と、本当に仕事の一環としてしか捉えていないのだろう、もしくは何度も同じことをしてきて慣れているのか、抑揚の無い無機質な声は、むしろ逆にヘリオドールを煽る。納得できるわけがなかった。
「お前、突然目の前に現れて、自分は得体の知れない寄生生物でした、って言われて、ハイソウデスカって納得できるとでも思っているのか、――僕は、私は、何だって言うんだ」
「納得できるんなら最初からこんなこと、しなくていい」
どこまでも淡々とした口調の裏、不意に過る悲しみの色。
「……何だって言うんだ、と言われたら、もう、エーオシャフトの葉の一枚、エオクローナの個体の一、と答えるしかないし、エオクローナである以上、エオクローナに成った以上、もう、そうやって生きていくしかない。それに」
「……それに?なんだ」
「エーオシャフトによる救済、内部寄生は特にそう考えることが多い」
全てを奪い取るのが救済である、それはまるで。
「何もかもを捨てて、いちからやり直しているとでも」
「そういう解釈もできる、……ヘリオドール」
夜色の身体を一瞥した四足の獣は、ひとつため息を落とすと、ゆらりと立ち上がる。
「君もまたそうだろう」
引っ込み思案で臆病で、どこまでも真面目で、それが故に何も断われない。そんな弱気な性格は見事に周りに利用され、役に立てなければするすると周りが離れていく。見放される。逃げ場は何処にもなくて、そのたび空を飛べる細い身体に憧れた。大きな眼とその翅があれば、何かされる前に逃げていけただろうから。そして何よりきれいだった。自分みたいに濁った目はしていなかった。
もっと元気で、明るく強くなれたら良かったのに。
それはいつかどこかの、一人の少女の話だ。
「君もまた、エーオシャフトから望むものを手に入れている筈の一だ」
「僕が?……僕が、エーオシャフトに、救済されたとでも」
「救済されたかどうかは君が判断することだ。俺の知ったことではない」
其れは、とある少女の物語。
自らの無力さを恨みながら朽ちていった、ひとりの孤独な少女のお話。
「無に還された何もかもを解放しよう、望むなら、覗けばいい」
わ、と風が吹く。
次の瞬間、泣きじゃくる金色の瞳と目が合った。
第40回更新
物ドール Lv.30/物シルフ Lv.25/物ケットシー Lv.25/物コルヌ Lv.14
CLV 3663
MHP 7499/STR 321/INT 178
MSP 640 /VIT 191/MND 210
PSP 42 /TEC 471/AGI 333