一揆参戦7日目

先生は、一緒に暮らしていた時、そして死ぬまで結局名前は知らなかったのだけど、後々知った名前は咲良乃スズヒコ。薄緑の髪の眼鏡の、見た目はまともで優しそうな男だ。
口を開けば見た目とは程遠い、明るくふざけた性格の男。それにパライバトルマリンは拾われた。

「先生は同じ研究所の別の研究室に配属された人で、結局研究を放棄されて、あとは遊ばれただけだったぼくを拾ってくれた」

なんの研究をしていたところかももはや覚えていないし、記憶の最初はプラスチックケースの中から始まる。でも多分、自分にされたことからして、生理学とか発生学とかそっちの方の研究室だったんだろう、放棄されて資料も論文もろくに残ってないらしい今となってはわからない。

「ぼくは最初、手も足も中途半端で、肢芽だけしっかり4つ持ってる白い蛇みたいな見た目をしてた」
「はいはーいパラくん、しがって何ー?」
「足のもと!」

ため息が落ちる。知らないものに説明するのは実に苦行だ。いや、言葉を選べばいいのだろうけど、それがめんどくさい。

「……はー。それで、まあ、ぼくは……、あんまりにも弱すぎたんだ。最初は。それでまず最初にされたのが、免疫系の補強で、それから物理的なダメージからの保護とかでこの被嚢が与えられた。ここまではまあ、ぼくのことを思って、っぽい」
「ヒノウってなあに」
「……。……ぼくの外っ側のこの透明なやつ……」

パライバトルマリンの首から胴体までをすっぽりと覆っている透明の膜は、あとから誰かが付け足したもの。そう大雑把な説明をしなおしたところで、ようやくムトラは納得してくれた。
免疫系のどうこうは今ぶっちゃけどうでもいいコンテンツだ。たぶんそれがされてなければろくに外に出れていない身体だったんだろうけど、説明するのが面倒になった。

「まあそこまではいい。この辺で、確か研究が放棄されることになって、ぼく以外の残りは手に負えないとかでみんな殺されてしまった」
「……パラくんの、兄弟がってこと?……そんな」
「……免疫系をいじらなければいけない程度のいきもの、殺すほうがよっぽど楽だったんでしょう」
「ご名答」

それにそもそも、兄弟だと思ったことはない。実際血縁があったとしても、それはあくまで生殖隔離の理由にしかならない程度だろう。清潔なプラスチックケースの中で個飼いされて、ろくに外とも関わらなかった身としては。見える範囲できっと、いちばん、『運が良かった』。
おとなしい気質。手足がないが故にろくに抵抗ができない。比較的体格がよく施術に耐えうる体力があると判断されたこと。全てにおいて運が良かった、それだけなのだ。

「ムトラ。ぼくは兄弟がいたとかそういうのは全然思ってない……、虫とか魚が、大量に卵を生むようなものだよ。精霊がどうなのかはしらないけど、人間に近いのなら理解し難いかもしれないけど」

――そういえばヘリオドールたちはどうやって増えるんだ?

「……ま、まあ、そんな感じ、だから。そんなに悲しい顔しないでよ」

話は続けるよ、と目配せ、ムトラの伏せられていた紫の瞳がすっと持ち上がって、再びパライバをとらえた。
この程度でしょげた顔されるんだったら、この先話すのをちょっとためらってしまう。

「――で。ぼくはあいにくすぐ殺せるようななりでもなく、かといって外に放り出すわけにも行かず……、物好きなやつっていうのはどこにでもいるもんで、ぼくでいろいろ実験しようっていうお話になった。普通いきものに対して実験するときはいろいろと配慮しなきゃいけないことになってるんだけど、まあそれをガン無視のそれはもう苦痛全開の倫理ガン無視みたいなことをこうあれそれと」
「例えば?」

もうすでにいろいろと想像してしまったのだろう、引きつった顔のムトラの隣でヘリオドールは平然としていた。それどころかわざと伏せたのにこの容赦無いやつは。
それを聞いてどうする、という顔も鼻で笑い飛ばされ、どうしたものかと迷っているうち、ムトラから向く視線も興味に変わりつつあることに気づく。
聞かないほうがいいこともあると思うんだけど、もう今さら何を言ってもダメだろう。静かに口を開く。

「毒劇物の……投与とか……ノー麻酔で腹開けられたりとか……」
「うっわ」
「痛い痛い想像するだけで痛いよ!……ぱ、パラくんは、痛くなかったの」

話してみてわかる、実は思い出したくないことランキング上位につけていること。それはともかくとして、ヘリオドールも不快な表情を見せていたのにはすこしばかり安堵する。これを理由にまた排除されたらたまったものではない。

「あんまり覚えてないからそんな大したことなかったんだろ。んで、そうやっていろいろされてる中で、誰だかももう覚えてないけど……手のかわり、とか言って、気づいたら触手がついてて……、そのあたりで、ぼくで遊んでたひとらの研究室が解体になって、哀れぼくはどこにも引き継がれず……っつってもまあ当然か。引き継いだら都合がわるいいきものだった。そのぼくを拾ってくれたのが、先生。咲良乃スズヒコ先生」
「……スズヒコ?今咲良乃スズヒコと言ったな?」

ヘリオドールの様子に安堵したのもつかの間、だった。
人名に反応したヘリオドールがムトラの腕を離れてパライバに詰め寄り、尾と頭の触角でパライバの首を捕まえるまで実にあっという間で、パライバはろくに反応もできない。

「なっあ、お前!なに!!」
「今咲良乃スズヒコと言ったなって聞いてるんだよ、答えろ」
「ああそうだよ言ったよ咲良乃スズヒコ!研究者、薄緑の髪、あとメガネ!あっと目は青色!」

挙げられた特徴を反復して、それからヘリオドールは唖然とした顔で、放り出すようにパライバを離す。信じられないものを見る目。なぜこいつが、と言ったような目は、どこか希望にも似た色を浮かべていた。
どうしてそんな目で見るのか、そう問いただす前に、ヘリオドールが口を開く。

「……僕は探している人がいる。リラ・アスター、若しくは咲良乃リラという女性だ。リラは昔僕を飼っていた人だ、――咲良乃スズヒコという男と結婚したのを期に僕は彼女と別れた」

同じ名前が上がる。
そういや名前は聞いたことはないけれど、見せてくれた家族写真の、スズヒコでもユーエでもアルムでもない人。それがその、リラ・アスターなのか。

「――銀色の髪に、……、藍色の目の、強気っぽい人?」
「そう。……見たことがある?それとも会ったことがある?」

星のような瞳は真剣味を帯び、ヘリオドールの語る言葉がいかに真面目なことかを裏付けていく。パライバもパライバで、想定外のところでつながりがあったことに驚きを隠せぬままだ。

「見たことはあるけどぼくが一方的に見たことがあるだけだ……、ぼくは先生が死ぬまでは先生と一緒で、そのあとはユーエ……、……その、先生とリラさんの二番目の娘さんだ、そっちのほうに行っていた。行っていたって言っても、基本的に何もしないで見てただけで、手を出すようになったのは、――あ、……」

口から零れそうになった言葉を、つい飲み込んだ。
ヘリオドールは、どこまで知っているのだろう。それが先に聞きたかった。説明がいるからだ。

「そうか、スズヒコはもう死んだのか。……なんだよ歯切れの悪い。リラは」
「ヘリオドールは、そのリラさん、については、どこまで分かるんだ」

何故そのようなことを聞く、といったような目。きらきら輝いていた瞳がすっと曇りを帯びて、何か良からぬことが続くのではと察したのが見てくれで分かる。

「結婚したきり会ってないから、子供がいるってことも今知った……、結婚したあとの彼女らについては、何も知らないと思ってくれて構わない」
「おう。――娘が二人いる。」

アルムとユーエ。
元気で明るくてみんなを引っ張っていけるようなそしてそれでいて聡明な姉と、引っ込み思案でおとなしくしかし確固とした芯を持った妹。まるで違った気質の彼女らは、幾重にも重なった事情と事案と事件に引き離され、再び出会ったのはとある本の世界。

「先生と同じ髪の色で、ユーエがリラさんとおんなじ眼の色だったはずだ」
「……ふうん……、もうずいぶん大きいの?」
「ふたりとも結婚したよ、アルムはほんとつい最近だけど」

本の中で出会った相手に惹かれてそのまま結婚して、元いた世界まで捨ててどこかへ行ってしまった妹に比べて、姉のほうはずいぶんと恋愛に奥手だったように思う。よっぽど妹のほうが積極性はあった(らしい)。
どこか安心したようにみえるヘリオドールに、今から酷なことを告げないといけないのか、と思うと、頭が痛い。知ることをすべて話すのが酷なときもあるけれど、それが今だとは、まさか。

「……それで、スズヒコが死んだのは分かった。リラはどうしているんだ、さっきの口ぶりからして知っているんだろう」
「リラさんは」

でもきっと、もう見抜かれている。

「――死んだよ、ユーエが、18のときに、病気で」

第38回更新
物ドール Lv.30/物シルフ Lv.20/物ケットシー Lv.25
CLV 3371
MHP 6717/STR 258/INT 165
MSP 570 /VIT 173/MND 197
PSP 35 /TEC 396/AGI 258