一揆参戦36日目

ようやく、本当にようやく、陸月も今ただならぬ何かに巻き込まれていることを理解できた。
目の前の四足の獣は非常に気が立っているように見えるし、先程束で持っていかれた髪の毛が鼻先を掠めていくのを感じて、心底やばいのでは?と思った。一歩下がってナズナの後ろに隠れることを思いついた時には、コルヌの周りで風が渦を巻いているのが見えた。

「陸月さん!!伏せて!!」

ごう、と吹き荒れる風、それがヘリオドールがよく使う【風神】であるのは、ナズナにはすぐ分かった。つまり、このコルヌは基本的にヘリオドールと同じ振る舞いをするだろうわけだが、そうなるとなかなかに厄介だとも思った。そうでなくとも陸月やナズナには、この場を耐えてやり過ごす力はあっても、怒りに揺れる四足の獣を叩きのめす力はない。

「ぐえっ何だよもう、今怒らなくたっても――」
『……ぐちぐちうるせえなあ、うるせえんだよ!!』

揺れる目の色が完全なランダムではなく、ある程度の法則性がある、そんな今気づかなくてもいいことに気づいた陸月の前で、ナズナは思い至ることがある。
このコルヌは、今まで確かにヘリオドールに従順に従っているようだったが、従順ではあるが自身の意思を明確に示したことは一度たりとてない。そもそも言葉を操れることを知ったのが今さっきで、これまではずっと、彼(っぽいので便宜上そうしておく、)の返事は鈴の音だった。仮にヘリオドールの大切なものを陸月が壊したとして、このコルヌはそれに怒り狂うだろうか?今まで陸月がやらかしたこと――例えば山を登りすぎた時とか、ただヘリオドールの後ろで、じっと見ているだけだったこのコルヌは、ヘリオドールの「ために」怒ることがあるのだろうか?ヘリオドールを見ている限り、彼女は陸月や他の人(――従者と少年とか、兎の少女とか)とは違ってエンブリオを形ある状態で連れているのはコルヌともう一匹くらいで、その扱いもドライというか、適当というか、そんな印象を受ける。力さえ行使できるならそれでいいような、そんな様子に見えるのだ。ヘリオドールとエンブリオはそれぞれ独立しているような、そこには形骸的な契約関係だけがあるような、そんな印象しかない。だから思うことがあって、

――陸月が手を出したのはヘリオドールのものではないのでは?

「俺そんなに悪いことしたあ!?ちょっと中見ようとしただけじゃん……あとでへりりんには謝っとくからさあ、」
『――黙れ!!』

風が吹きつける。
それからナズナが感じたのは冷たさだった。

「くっ……!」

吹きつけた風は【ディバインウィンド】。さらに風に押されて加速した四足の獣は、冷気を纏った角の一撃【エルクシ】を繰り出した。壁がそれを受ければ足元が凍りついて重くなる。角の一撃は一発では終わらなかった。

「ナズナちゃん!?」
「受けるのは私の仕事ですよぅ!!陸月さんその間に何とかしてください!!」
「いや何とかしてくださいって言われてもどうすりゃいいんだよ!?ナチュラルベリアルすんの!?耐久!?」

何をしよう。耐え凌いでいる間に、主人が戻ってくる保証はない。だとしたらやはりじわじわと削り倒す方面で動くしかないか。自分に火力とかいうのが欠片もないのは知っていた。行使する力は自然の豊穣の化身、導くは自然葬【ナチュラルベリアル】――

「……あれっ?」

び、と足が痺れた。そのままがくりと膝をつく。
ヘリオドールの装備を更新した覚えがあるのを思い出して舌打ちをする。異常特化の爪を用意したのは確かに自分だが、まさかその力までエンブリオが得ているなんて!

「陸月さんっ」
「悪いごめん、けどもう平気!ナズナちゃんは、」
「思ってたより痛いけど大丈夫です!!ちょっと熱いし頭おかしくなりそうだしびりびりしますし寒いし眠いし気持ち悪いし疲れてきたけど大丈夫です!!壁ですから!!」
「すっげー大丈夫じゃなさそう!!?!?」

行使する力は民家に住み着く妖精、導くは薬店【ファーマシー】。ナズナが訴えた変調が多少はマシになる。思ってたより痛いというのも、エンブリオの力だ。人形の構える【殺陣】。

「すいません……!」
「だいじょーぶ!それより気をつけないと……っうお!?」

次にコルヌの開いた口から吐き出されたのは深淵の息吹【アビスブレス】で、闇色の炎はナズナのみならず陸月にも飛んできた。
炎に焼かれただけのはずなのにどこか冷たいし、自身を苛んでくる何かを感じた。爪の力がそこまで、と思うと歯噛みしたくなる。

『不思議か?俺がどうしてヘリオドールと同じことができるか』
「ヘリオドールさんと一緒にいるから、別に不思議じゃないですよぅ、けど、あなたは、コルヌ……」
『正解だが不正解だ、』

ひといきつく。行使される力は伝説に名を連ねる蛇、導かれるは体力【ヴィゴーレ】。揺れた瞳の色が夜色で止まって、獣は静かに次の言葉を紡いだ。

『そも、回答は知らなくていいだろう!』

行使される力は地を揺らす狼。導くは必殺の氷山【アーイズビルク】!集った冷気が鋭さを増して槍と化し、陸月の前に立つ壁に突き刺さる。
勢いに押されてずるずる後ろに下がった壁は、それでも倒れることはなかった。

「ナズナちゃん!!」
「だ、だいじょうぶれすよぅ……私は壁ですからぁ……」

ダメージよりか深刻なものがある気がする。再び陸月が【ファーマシー】を構えたところで、不意にコルヌはあらぬ方向を向いて動きを止めた。

『……』

――リン。

「……あ……?」

次に見た【コルヌ】は、今まで見慣れた通りのおとなしい獣の成りにすっかり戻っており、そのまま鈴の音を鳴らしてどこかへ歩き去ってしまう。
様子のおかしいナズナとともに取り残された陸月の視界に、こちらに飛んでくる夜色が見える。どうやらそれが抑止力らしいことを察して、陸月は安堵の息をこぼした。

「な、何だったんだろう……」
「はわわだめですよぅ陸月さん!!そんなハレンチなことぉーーーーー!!!!」
「ナズナちゃんちょっと!!しっかりして!?俺何もしてない!!してないししないから!!」

【ファーマシー】で治せないものの一つに、魅了があった。

 『全てが現実味を帯びてこない真っ赤な世界』 



曰く、コルヌが暴れたらしい。陸月から得られた情報はそれくらいだった。
普段は話が聞けそうな方の壁は、なぜだか赤面して(――壁が赤面するとはどういうことだろうか)ごろごろのた打ち回っていたので話を聞けそうになかった。そんなことより次は、ついに自分だけで強敵に挑みに行く。

「コルヌ。お前にも仕事がある」

――リン。

集った戦力は申し分なく、自分の何もできなさに歯噛みするところだった。話し合いが一段落ついて、あとは自分の立ち回りを考えるだけだ。それで戻ってきてみたら、コルヌが暴れたらしいと聞かされて、かと言ってどう対処しろと、というのが本音だった。
エンブリオの従え方をヘリオドールは知らない。そもそも今こうして懐柔しているのだから、それでできているのだろうと思っていたのだが。

「有り体に言ってしまえばデコイだが、それでも重要な役割だ。いいな」

――

「……何だ、不満か?」

鈴の音がしない。
一挙一動について回っていたはずのそれがないことを認めて、ヘリオドールはコルヌの方に振り向く。
瞳の色がゆらゆら揺れていた。戦いの時にこうなるのは知っていた。

「気が早いぞ」

それ以上、気に留めることはなかった。頭を切り替える。声を上げ、ひとを連れて行くことを選んだのは自分だが、共に行くことを名乗り出てくれた彼らに頼り切ることだけは避けたい。
ついと飛んでいく姿を、小さな獣の足跡だけが追う。

 『ごちそうさまでした』 


押し留めていた衝動が暴れ出す。一度こうなるとどこまでも手がつけられないのは、ここ数十年の経験則で知っていた。
気が触れている。それが一番適切な表現で、どうやら自分はひどくそういう衝動の発散が下手くそらしい、というのも、学んできた。学んできたところでどうしようもない。どうしていいか分からないし、どうすればいいのか考えることも放棄しつつあった。
よくないこと、とは、わかっているけれども。じわじわと壊れていく。速度が明らかに異なるとはいえ、この崩壊の仕方は、かつて体験したそれによく似ていた。

――だからこそ抗いたいのに。

同じ道を辿るのだろうか。変われないのだろうか。理性は食い殺されてしまうか。
かつてと決定的に違う点はいくつかあって、その中で最も危惧していることがひとつ、そして最も恐れていることもひとつ。そこまで考えている方がどうかしているのかもしれないが、妙に冷静で、客観的な視点でいた。それでいてなおこの衝動は止められず、とかく一撃でも食らわせないことには気が済まなかった。まだそれならいいかね、とも思った。

まだなんとか『そうした数は』覚えられている。
回数。人数。状況。それから、

「……」

そも、どうして今こんなことになっているんだっけか。
ここに来たのがいつだったか、もう既に思い出せない。ずっと静かにしていた。動きもしなかった。ひとつ前の世界でひどい目にあったからだ。目が覚めて、それでもなお動かなかった、――動けなかったのは、運ばれていたからだ。

「……墓場め」

機を得たのは観測者ども(――と、瑠璃の墓場と名乗ったそれが呼んでいた)が記憶の網を手繰り寄せたときであり、それを是とし、ヘリオドールに引き渡された時に飛び込んだのがこの角を持つ獣の身体だった。エンブリオに与えられるネクターは生命の花。提供される生命力は、負った傷を癒すのに十分だった。
そうして傷を癒やしながら適当に従っているうち、ヘリオドールはほとんどのエンブリオの外形を崩してしまった。唯一残った「戦いの時に呼び出せるエンブリオ」となった【コルヌ】に流れ込む生命の力から、ヘリオドールが行使してきたエンブリオの力を感じるのは簡単な事だったし、それを自身に蓄積するのもまた簡単なことであった。実際先ほどだって、何の問題もなく【フェンリル】の力も行使できたし、【シルフ】や【ブラックドラゴン】とてまたそうだ。何も不自由はない。――強いて言えば、ヘリオドールとの間にある、形骸的な主従関係のみが、邪魔者であった。
く、と。押し殺したような笑い声が落ちた。
男の声だ。決して若くはないだろう男の声。一揆が終わるというのなら簡単な事で、そして今まで付き従ってきた以上、その相手のことはよく知っていた。簡単だ。簡単すぎる。ならばやるしかない。

「ふ、ふふ」

まず手始めに少しばかり動いてみようか、気付かれぬよう。
本格的に牙を向くのは、あれがやろうとしていることが終わってからだっていい――

 「さあ、始めようか」 


第67回更新
物ドール Lv.30/物シルフ Lv.25/物ブラックドラゴン Lv.25/物コルヌ Lv.106/物プルソン Lv.2/物フラウ Lv.25/物ヘカトンケイルLv.25/物オロチLv.10/物フェンリルLv.25/物アルミラージュLv.18
CLV 9967
MHP 28714/STR 3016/INT 301
MSP 2209 /VIT 721 /MND 367
PSP 236 /TEC 3374/AGI 3097