一揆参戦35日目

瑠璃のいる、その場所に迫るのは冷気だった。

「おっと?」

されど、どれだけの力と質量を持っていようと、世界は、墓場は殴れない。瞬時に別世界に身を落とした小柄な身体を、メルンテーゼのレイトリーデは捉えられない。
空振りに終わった氷長石の一撃だが、それ以上の追撃は許されていない。不服そうな顔と極めて冷静な顔が並んだ。

「クソかよ」
「おやおや。操縦桿はどうした?」
「意図的な誤動作だ」

なんでもない事のように言ったノカは、静かにラズライトに向き合った。知りたいことを聞き出すまではここから逃がすまいという強い視線に、観念したようにラズライトが肩に当たるだろう部分を竦めているのが見える。
どこまでもこの墓場は面白くない。

「メンテナンスが必要なんじゃないか」
「そちらこそ散らかしているのを掃除したら如何だ?」
「あーん頭が回る方と会話するとこれだから嫌だ」
「余計な話はしたくない。本題に移らせていただく」

分かっているんだろうが、とノカは前置きした。
さも面白くなさそうに、態とらしい溜息を零したラズライトを見据えて、言葉を吐く。

「緑柱石に押しつけた厄介ものはどうする気なんだ」
「観ている、って言っただろう、観こそするけど手は――」
「観ているのなら今どういう状況にあるか把握しているな?」
「……うん?」

かくん、と傾げられた首に合わせて、被っている頭骨が揺れる。

「両方共ヘリオドールの手元にあるんじゃないのか?なんだか別個で動き回ったりしているようだが、私はヘリオドールの手元にあると認識しているが」
「……緑柱石は、片方なくした、と言っているんだが?」
「……うーんんん???」

確かな認識の差を感じた。ラズライトが、彼の纏う外套の下から溢れた柔らかな光をちょいちょいと突けば、それは意思を持ったかのごとくに動き始める。そのままどこかへと飛んでいってしまった。
その預けた本の本質を知っているラズライトは、仮にあの本の外見が無くなってしまったとして、別のものにすげ替えられていたとして、同じ世界樹の葉にいる限りでどこにあるかの検討はつく。……つもりで、いたのだが。
久しぶりに感じさせられたのは一抹の不安であった。個人的には、大変心躍る案件ではあるのだが。そんなこと目の前の名無しに言おうものならそれこそまた殴られかねないので、そっとしまっておく。

「おかしいねえ、ちょっと見てきてもらおうか……」
「……ひとつ問うが、お前は今も緑柱石の手元にあると断言できるのか?」

それはもちろん、と頷く瑠璃を見て、ノカとレイトリーデは顔を見合わせた。
何故たかが本一冊で、と思わないこともないわけではない。たかが本一冊、で済めばそれでよかったが、生憎そういう本ではなさそうなのだ。

「ねーラズライト。頭わるいほうから聞くけどさあ、その本?って、ぱっと見で本の形じゃなくても、ラズライトは本がそこにあるって分かる?」

不意にレイトリーデが顔を上げる。
その問いかけは、ノカとラズライトにとっては周知の事実であった。

「当たり前だろうレイトリーデ、そうじゃなかったら今頃私だってなあ、ふええ本が一冊ないですうってしてるから」
「ふええとか気持ち悪いにもほどがあるがそういうことだ……ん、あ、そうか」

名無しの目が煌めく。それからひどく納得したように頷いて、横のレイトリーデに視線をやった。視線の意味を解してか、レイトリーデの顔が綻んだ。僕だってたまにゃあやるんだよ、と言いたげなそれであった。
腑に落ちた様子のノカに、瑠璃の墓場はゆるりと笑いかけてやるだけだ。

「……はあ、ああ、つまりは俺たちと……俺たちと緑柱石は、本という情報しかないから、本でなくなったとき、俺たちはそれを捕捉できない」

本。そう思っていただけで、見えなくなるものがある。
きっとヘリオドールも気づいていない、あるところから隣に在り続けていたそれが、いつの間にか中身が挿げ替えられていたことには。推測の域は出ないが、きっとそういうことだ。

「あんたらの勘違いってことで合ってるかな?ん?」
「つまりはそういうことではあるが、そういう厄介をわざと俺たちに押し付けようとするそれが何より気に入らない」
「……いやん。バレてた?」
「バレバレだくそったれ」

この厄介は、間違いなくこの世界で終わることではない。ノカら観測者の手を煩わせかねない、可能ならそれは避けたいところであった。
ただ、この瑠璃の墓場は言うのだ、

「グランフラージュは笑うよ。そしてとても愉しむだろう」
「お前がそう言うのは想定内だ」

黎明の果実は笑うだろうと。それはもう、問題に直面した時の、瑠璃の墓場の口癖のようなものだった。

「まあまあ。私の話も聞かないか、【鈴のなる夢】についてなんだけれど――」

 『やけおちていく どこまでもつめたいうみのそこへ』 


【鈴のなる夢】。それは本の世界でつくられた、異本と呼ばれる本だと言う。
哀れな男の生の一部を切り取って収めたそれは、はじめからある物語ではなかったと聞く。別の物語の、別の異本を手繰り寄せた先にようやくそれがあるのだと。

「それが何故このメルンテーゼに?」
「追い回してようやく捕まえたのさ」
「その追い回したもんを放り投げてんじゃん、何やってんの?」

本の体裁こそ取っているが、それは厳密には本ではない。
本の中には異形【バケモノ】が一匹……いや、ひとり、なんと呼ぶべきか、とにかく一体。本の世界とともに消えてしまうはずだった異形の悪足掻きともとれるそれを、ラズライトが追い回してまで手元に置いたのには訳がある。

「囲った死人のひとりがさあ、どうしてもって言って聞かねえから……一目見たらそれで寝てやるっていうから、暴れられるよりはってなるじゃん」
「ふーん、ラズライトも苦労してんだね」
「性格上だと思うがな」

そうしてそれを済ませたあとの処遇をどうこうするのに、『もう一冊』が、外の世界に放られることを望んだのだと言う。やりたいことがある、けれど自分には自力で世界を渡る術がないから、そうしてほしいと。

「もう一冊ってどっから出てきたんだよお」
「まあ待て?」

もう一冊。それはどうやら【鈴のなる夢】とは切っても切れない縁があるらしく、【鈴のなる夢】を捕まえたあとに、ラズライトの前にふらりと現れた。それが外の世界に放られることを望んだから、共に持ち歩いて、適当なタイミングでヘリオドールを捕まえて押し付けてやったのだという。

「本でいるときは中身を読まれたくないから封をしてしまうらしいけれども、なかなかに面白いやつだったよ」
「……封を?自分でする?」
「読まれたくなきゃそうするだろう?」

それはきっと、今でも封をされている。いや、している。

「てっきり封をされているもんかと。開けたら中からなんか出てくんのかと思ってた」
「あながち間違っちゃいないが、鈴のなる夢のほうがよっぽど読めなくて危ない気がするよ、私としては」

見た目ですべてを遠ざけてしまうのが、ひとつの戦略としてあるのだろうか。本のことはよくわからない。なによりただの本でない時点でもうよくわからない。
ただここで、ノカはひとつ気づいてしまった。もう一冊のほうの目的は確かに明かされていて、自分たちの手も大して焼かせない程度のそれであった。では【鈴のなる夢】のほうは。

「ヘリオドールは、鈴のなる夢は読めるって言ってたけれど。実際読んだらしいし」
「ふうーむ??それは彼女がなんか騙されているんじゃないかな、君らも含めて」
「悔しいがその通りだろう。擬態のうまいやつだ」

如何にも怪しいですと言わんばかりのものが近くにあるのなら、大人しくして、普通を装っていれば、目を向けられることはまずない。
何をしようとしているのかは知らないが、そうして牙を研いでいるのだとしたら、よく頭の回るやつだとも思った。

「……瑠璃のラズライトに問うが、緑柱石はどうすると思う?」
「あれは保身に動くだろうと思うよ。それは観測者の君たちのほうがよく分かってるんじゃないか」

名無しの顔に薄ら笑みが浮かべられる。
表情の起伏がないに等しいノカにしては珍しいそれであった。

「……間違いなく言葉を得たぞラズライト、これでもう俺たちが働いてないのを理由に緑柱石とそれに関わるなんかめんどくさいことは押し付けさせない」
「ああん。最初からこれが目的か」
「当たり前だ。本の動向とか俺達にはどうでもいいんだよ」

踵を返すノカとレイトリーデに、ラズライトは最後、笑いながら言葉を投げ飛ばす。

「まあ、そうだな、最後に言うことがあれば、どう転がろうとグランフラージュは笑うよ、あとで何か押しつけられても文句は言えん程度にな!」
「グランフラージュのあしらい方なら心得ている。恐れることではない」

当然のように言い放つ名無しを見て、ラズライトは嘆息した。そういえばあの名無しは、グランフラージュのお気に入りのエオクローナだった。自分よりよっぽど。あの気まぐれなカミサマの相手には長けている。
二匹の消えた後に残された瑠璃の墓場は、ようやく一息をついた。
どうやら観測者とは見解の相違があったらしい。とはいえそれは彼らにとってさしたる問題ではなく、彼ら的にはとにかく、自分らにかかる厄介事を減らしたくて探しに来られていたようだが。これなら姿を現してやる必要もなかったのかもしれない。名無しに一本取られた形になる。

「ふうーむ」

それと同時にひとつ気がかりがある。
会話を始めてそうしないうちに偵察に放った魂が、帰ってこない。

「うーん、索敵機未帰還、ってやつかね」

結局のところ観測者は、黎明の世界樹エーオシャフトそれ自身に害が及ばなければそれでよいのだ。彼らの仕事はそれである。そして自分も、それが仕事である。
故にここで見限ったところで、何ら問題はない。――世界樹には、問題はない。

「手の引きどころかも知らんな」

息を吐いた。
きっと緑柱石は保身を第一に選ぶ。そういう立ち回りで生きてきたエオクローナなのは見れば分かる。果たしてどこに火の粉が飛ぶだろうか、それとも何も起こらないか。

「寝かしつけが済んでいたのだけは幸いとしよう」

外套が翻る。そこに瑠璃の墓場の姿は、もうない。

 『沈んだ先に一瞬でも、幸せな世界を夢見ていた自分がいたのだ』 


一揆が終わる。
皆いろいろなところに最後に挙って出向いて行く。ヘリオドールもその流れに飛び乗るようにして、陸月に宣言した。自分が声を上げてひとを募り、行ってみたいところがあると。

「ヘリオドールさんの最近のやる気すごいですねぃ、陸月さんも見習ったらどうでしょうか」
「えー。俺だってほら、へりりんと一緒になんだっけ、なんか倒しに行くって約束したしー……その準備超してるしー……豆腐料理すんのはちょっと飽きたけど……」

ヘリオドールの装備が準備出来たら。それからエンブリオの技が準備出来たら。向かうは裏庭、魔法使いのもとへ。
それまでに料理を準備する!と意気込んだものの、ちょっと準備できるか怪しくなってきたのはここだけの話だ。まあなんとかなる。なんとかなあれ。

「でも、ほんとにもう少しで終わっちゃうんですねぃ……」
「だなあ……終わる前に挨拶しとかねーとなっ!いろんなひとにさー……ん?」

ヘリオドールが放り捨てていた荷物、――鉱物がやたらと目立つその中に、見知らぬ本がある。
何故かそれに既視感を覚えた陸月が手にとったそれは、ハードカバーの絵本だった。――『鈴のなる夢』。

「……鈴の、なる夢?」
「鈴、です?陸月さん、知ってるんですか?」

ヘリオドールの荷物には少々そぐわない……というと本人に尻尾でぶっ叩かれそうなのだが、その絵本からは、ほんわかした色使いの、やわらかい雰囲気がする。

「いや知らない……なんだろこれ。へりりんのやつかな」
「勝手に触ったらまたヘリオドールさんに『お前はそれだから馬鹿なんだ』って言われちゃいますよぅ」
「似てるのがちょっとつらい……」

本を開く。ほんわかした雰囲気は本文内まで続いていて、やわらかな色使いが見ていて和む。ぱらぱらとめくっているうち、途中で違和感に数カ所出くわした。確かめるようにページを戻して、改めて首を傾げる。
ページが飛び飛びのように思えるのだ。よく読んでみれば、内容がぶつ切りになっている。そしてそれが、ページが飛び飛びになっているわけではない、ということに気づくのに、そう時間はかからなかった。
ページが貼り付いているのだ。

「……んー?」
「変ですねぃ……?」
「何だろこれ、別に糊でべったりってわけとかじゃなさそうなんだけど……あっ開きそう、いけんじゃね!!」

力に任せて陸月がページを開こうとする。

「ちょっ、陸月さん!!破けたらどうするんですかぁ!!」

ナズナの心配を他所に、ページは全く微動だにしない。見るからに普通の絵本と変わらなさそうなそれだというのに、破れるような様子は見られなかった。
それどころか陸月の手のほうがよっぽど痛そうだった。

「ひえー……何だこれ。鉄かなんかみたいにガチガチだ」
「ええー……?いじるのやめときましょうよぅ、そもそもヘリオドールさんのもの?みたい?だし……」

既視感の謎の解けぬままに、陸月がヘリオドールの荷物に本を戻そうとした瞬間だった。
突風が吹く。陸月の顔面に勢い良く。

「ぶっ!?」
「陸月さん!?」

陸月の手から本が奪い取られた感覚があり、風で閉じざるを得なかった目をようやく開いた時には、目の前に見覚えのある四足の獣がいた。角を持つ獣【コルヌ】。
瞳の色がゆらゆらと揺れていた。赤から青へ、そのままその色は深まって藍へ落ち、次に揺れた時には鮮やかな翠へ。それを繰り返しているその目には覚えがあった。――戦いの時だ。このコルヌ、理由は分からないが殺気立っている。
……もしかしなくても、

「……あ、あっ、へりりんの本勝手に触ったから怒ってる?」

それ以外に思いつかない。
肝心のヘリオドールは、その声を上げた次の行き先のどうのこうので、今この場にはいない。

「ああ、もう、言わんこっちゃないですよぅ……?」

一応はなにかあった時のために、と、陸月の前にナズナが歩み出たところで、ふと気づいた。
記憶が正しければ、数日前にドラゴンを狩るのに顔を合わせた時には、このコルヌからはひっきりなしに鈴の音がしていたはずなのだが。それがない。
それを問いただす時間も何も今は与えられていないが――

『――じゃない、冗談じゃないよ、くそやろう、……痛いんだよ……!』

聞いた覚えのある声がする。
それはそう、ドラゴンを狩るときに聞いた声だ、子供の頼みじゃ断れない、と言った声と同質のそれは、今確かにコルヌから発された。

「……コルヌ、さん……?」

色の違う瞳と目が合った。
空色と翠色。

『よくもやってくれたな、江田陸月』

今まで意識して聞いたことのなかったその声は、少なからず大人の声であるようには思えた。
以前の言葉と照らしあわせて納得がいく。性別はまだ掴みきれない、――ただ、陸月と比べると、同じ男性の声のように思えなくはない……

「へっ、あ、俺!?あーっやっぱり本触ったの怒ってるんだ!?へりりんごめん!!めっちゃごめ――」

陸月の髪の毛の、赤い毛先がぱっと散った。
それが風の刃だと気づくまで、そう時間はかからなかった。

第66回更新
物ドール Lv.30/物シルフ Lv.25/物ブラックドラゴン Lv.18/物コルヌ Lv.105/物プルソン Lv.1/物フラウ Lv.25/物ヘカトンケイルLv.25/物オロチLv.10/物フェンリルLv.25/物アルミラージュLv.18
CLV 9335
MHP 27710/STR 2896/INT 296
MSP 2153 /VIT 678 /MND 350
PSP 231 /TEC 3291/AGI 3028