一揆参戦10日目

夜色の長い髪が揺れているのが、見えた。
遊びまわる子どもたちの輪から外れたところで、金色の瞳が虚空を睨みつけていた。

『わたしは』

輪からはみ出たところでぼんやり、そこから眺めているしかない。そうやっていることしか許されていない。むしろ眺めることすら許されていない。
どうしろと言うんだろう。彼らの世界に私はいない。外側からぼんやり眺めているしかなくて、なんとなく外界を認識する程度の認識しか許されなくて、じゃあ私はなんだって言うんだ、

『……う、うぅ』

少女は泣く。虚空を睨みつけたまま泣いていた。


リティーシャ・ニーベルは、端的に言えばいじめられっ子だ。
穏やかで物を断れない性格がいいように扱われ、皆が皆彼女のことを便利屋扱いする。便利屋とは名ばかりの、やりたくないことを徹底的に彼女に押し付けて(それは掃除当番だったり、宿題だったり、嫌いなものを食べてもらうことだったりした)、楽をしたいがための存在だった。時には他人の悪口を口外無用で聞かされたりとか、何か買ってこいだの言われたりだとか。
皆が皆彼女に対して上っ面だけの付き合いをしていた。皆が皆彼女の手は取らなかった。そのくせ彼女は利用した。

『ただいま』
『おかえり、リティーシャ』

彼女は誰にも頼らない。彼女は誰にも頼れない。
親に迷惑かけまいと、必死で、必死で毎日を生きている。

『ねーね、おかえり!』
『ふふ、ただーいま』

それは自分で勝手に思い込んだのかもしれないし、実際にそうだったのかもしれない。リティーシャを癒してくれていたのは、歳の離れた弟だった。

『ねーね、あそぼ、あそぼ』
『ちょっと待って』

歳の離れた弟が癒してくれると思い込んでいたのかもしれない。
とにかく彼女の拠り所は確かにこの弟ひとりだった。

『ライオットー』
『あーい』

同じ夜色の髪の姉弟が戯れていられたのは、そう長くはなかった。リティーシャの身体に変調が訪れ、ろくに部屋の外に出してもらえなくなったからだ。それでも弟は絵本を持って縋ってきたりしたけれど、それもなんだか申し訳なかった。一緒に蜻蛉を追い回す約束をしたのも果たせそうにない。
いつからだろう、それは全く覚えていない、ただ打突を受けた部位には覚えがあって、けれどそれでどうしてこうなってしまったのか、――

『進行したエオクローナ病で間違いないですね』
『そう長くはないでしょう』

医者は時に無慈悲である。彼女の部屋の外で話している声は、確かにリティーシャの耳に届いた。
見知らぬ単語。告げられる期限。

『そんな』

私がいなくなったらライオットはどうなってしまうんだ、それだけが脳裏を過って掠めてどこにもいなくなってくれない。まだ小さい弟がこれからどうなっていくのか、この目でせめて見たかったのに。
それだけを楽しみにしていたのに。

『うそ』

腰に出来た木の根のような痣を最初に見つけたのはライオットで、最初に親に言ったのもライオットだった。きっと弟は心配してくれていたのだ。姉がなにかおかしいから、そうなんだ。きっとそう。
ライオットが何も言わなきゃきっと別に何も言われなくてこのまま普通に何も起こらずにいられたのかもしれないのに、あの子は、――


   やめよう


金色の瞳が濁っていくのにそう時間はかからなかった。



窓の外を蜻蛉が飛んでいる。赤い身体のが群れて飛んでいる中を、ひときわ大きい黒い影が高速で横切っていった。
蜻蛉が飛んでいる。おおきな目で、世界を見渡して飛んでいる。

うらやましい。

蜻蛉が飛んでいる。何にも縛られることなく、自由に空を飛んでいる。

わたしもじゆうになりたい。
にげまわりたい。
この せまい せかいから にげだしたい!

『逃げ出したいって?』

そう もう だれにも じゃまされないとおくへ

『ふうん、それはもう、君が君じゃなくなったとしても?』

なんでもいい とにかく もっと もっと つよくなりたい
だれにも たよらなくてよくて ひとりで なんでもできて おとこのこ みたいな

『君が望むなら、――ああそうだ、君が本当に望むなら、君は選ばれている。今すぐ、その望みは叶うよ、リティーシャ・ニーベル』

きらきら きれいな はねで おそらをとべて――
わたしみたいに よわむしじゃ なくて もっと つよいこ――

――に なり た  い

『……言ったな、確かに言ったな?いいよ、リティーシャ・ニーベル。さあ、何もかも捨ててこちらにおいで』

白い手が手招く。広げられた翼はさながら天使のように、これはきっと神の救済。誰にも手を差し伸べてくれなかった自分に『はじめて』手を差し伸べてくれた――
疑問が転がる。踏み潰されて、すぐに消えてなくなった。本当にそうだったのか、自分の思い込みじゃないのか、それを確かめる術はもうない。ベッドの上の少女の見上げる先に舞い降りた、白いトカゲのような、ドラゴンのような生き物が、こちらを見てにたりと笑っている。

――寒気、

『キミは、確かに自分からそう望んだんだ。それは即ちキミの精神が完全に崩壊していることを意味する』

恐ろしいほどに冷たい空色の瞳がこちらを見て笑っていた。
広げられた翼は氷に覆われて鋭く尖って、それはさながら悪魔のような

『何故いまこういう話を僕がするかと言うと、だけど……、リティーシャ・ニーベルが欠片でも残られると後々面倒なんだよ。欠片残さず食い尽くしてもらう必要がある。キミは、リティーシャ・ニーベルは、もうこの世に存在している必要がない。もう一度言ってあげるよ、キミは世界から見放された』

悪寒。

『逃げ出したいって言ったのはキミじゃないか!どうしてそんな顔をしているんだい、今更未練タラタラなのか。……はは、まさか。まさかそんな、僕らがみすみす逃がすと思うな、――元より死ねばエーオシャフトの一枚の葉となる運命だったんだ、それが早まっただけのことだ、どうせ生きていたところで何も幸せなことなんて、なかったんだろう……、苦しかっただけだ。死ぬよりひどい苦しみが待っていたに違いないさ、……リティーシャ・ニーベル』

腰のあたりからぞわぞわと広がる違和感、それを気にする隙すら与えられずに、リティーシャ・ニーベルはベッドの上でただ、白い生き物を見つめていることしか出来ない。
それは救済の天使なのか、それとも、あれは、 いったい、  なんなんだろう    ?
意識がぼんやりとしてくる。目蓋が落ちてくる。抗えない。きっと閉じたら私は、


『さあ、嫌だったことは何もかもなくなったよ、もう何にもとらわれないで生きていける』

囁く声は悪魔のそれか、それとも救済の祝詞か。

『緑柱石【ヘリオドール】と名乗りなさい、何もかも思い出さなくて済むんだから』


次の瞬間には、少女の細い身体は『木の根』に飲まれていた。
無音の空間、ベッドの上で木の根だけが蠢いて、そこに少女が存在していた事実を喰っていく。リティーシャ・ニーベルという存在を喰っていく。白い生き物はひとつ溜息を零して、ベッドの縁からその光景を眺めていた。

『何度見ても悪趣味な光景だ』

少女だった木の根がそのうちクチクラに覆われた球体になるまで、その生き物はずっとそれを見ていた。直径5cmほどのそれを手に取ってしまえば、ベッドの上に少女が存在していた痕跡はどこにもない。
それどころか、リティーシャ・ニーベルという存在がいたことすら、もうだれも覚えていないだろう。彼女が思い出しさえしなければ、誰も。血縁関係にあったとしても。両親でさえも。
このシステムが作られた理由は、本来肉体的に死亡したあとの生き物の身体を利用して発生するエオクローナが生きているものを蝕んだ場合の、辻褄を合わせる必要があったからだ。そして何より、エーオシャフトに楯突かれないための、防衛機制だ。
思った以上にヒトというのは脆い。実にあっけなく自ら死んでいこうとする、高度な知能を持つ生き物のマイナス点とでも呼ぶべきか、精神の死にも反応するエーオシャフトの種が少なからずあるようで、幸いにしてその最初の一例についてはなんとか誤魔化しが効いたものの、それ以来、エーオシャフトの種を放りっぱなしにはできなくなった。それが故の「観測者」。

『こんなの、本当に慣れんのかよ、みんなどいつもこいつも慣れだって言ってたけどさあ』

肩をすくめたところで、部屋のドアノブががちゃがちゃと鳴った。
限りなく隠密に気を遣い、それが保たれていたはずの部屋。ぎい、とドアが開けられる、

『ちっ』

立ち去るまでに侵入を許すのは、観測者として未熟な証拠であった。小柄な白い生き物は、身を翻すと即座にその場から消えていった。彼女だったクチクラの球体を抱えて。


『ねーね』

父親は仕事、母親は買い物と何かの用事。留守番で残された幼子が、姉のいる部屋のドアを開ける。
開けたドアの先からほんのり冷たい空気が漂って、それから姉のいるはずのベッドの上に視線を向けて、目を見開く。

『……ねーね?』

そこにいるはずの姉の姿はどこにもなく、ベッドには温もりすら残されていない。

『ねーね、……ねーね……』

幼子はただ呆けた顔で、そこを見ていることしかできなかった。
しきりにベッドの上を探る姿が遠ざかっていく。


風が吹く。
次に目が合ったのは、淀んだ黒の瞳。

「……おいノカ。余計なものまで見せてんじゃねえよ」

不機嫌そうな声が聞こえてヘリオドールが我に返れば、ノカが観せてきた無に還された何もかもとやらでも見たような姿がある。その時に比べれははるかに大きいレイトリーデだ。
最後の幼子の呼ぶ声が尾を引いて頭から離れない中で、ようやく出来たことは、レイトリーデを睨みつけることだった。

第41回更新
物ドール Lv.30/物シルフ Lv.25/物ケットシー Lv.25/物コルヌ Lv.23
CLV 3705
MHP 7940/STR 374/INT 182
MSP 683 /VIT 195/MND 214
PSP 47 /TEC 532/AGI 394