貫く青、泥濘の黒

紫煙を燻らせて路地裏に佇む中、フェデルタはその背後に確かな殺気を感じた。
今まで何度もこういう機会はあったけれど、その殺気の出処の気配は実によく見知ったものでありそうで、それでいて今までで一番寒気がした。今までいくつも死線は乗り越えてきたけれど、今日は越えられる気がしない。
それほどに鋭いのだ。

「……」

果たして何処から漏れでたのか、今までこの本の中で、大っぴらに明かしたことのないその淀んだ過去の泥濘の黒。もう会うことのないと思っていたあのエルフが、同じ本の中に現れたのが原因でしかなさそうな気がして、さすれば必然的に誰かに見られているだとか、そういうもので噂でも広まったか、――誰かが、話したか。
思い当たる可能性はそれなりに幾つかあった。知り合いが話した、というのは、あまり考えたくないけれど、どこから知ったかを聞き出そうとしたところで、きっと相手はそんな隙を与えてくれないだろう。
――あの勇者、戦うときはそれに集中しすぎて周りなど見えていないのだから。それを知ったのもこの本の中だし、彼と出会ったのもそもそもがここだ。そして祝ったのも。

「……で、何の用だ、勇者さん」

振り返らない。代わりに愛用のハンドガンをしっかりと握って、それから覚悟を決めた。
背後から冷徹な声が突き刺さる。想定通りの人間の、想定外に鋭く冷たい声が。

「――フェデルタさん、……お前のような人間を、俺は生かしてはおけない」

この男は、勇者アルキメンデスは、ここまで冷徹な声を吐くことが出来たのか、というのがまず抱いた感想だった。明るく気さくな男が発せるような声じゃないだろう、――あの子は、きっとこんな夫の一面を知らないだろう、と。
きっと自分は生きて帰れないだろう、ここでこの男を殺して逃げ切れたところで、次に立ちふさがる人間の顔が鮮明に思い浮かぶ。どちらに転んだとて自分は死ぬ。それに気づいたところで、漏れでたのは乾いた笑い声だった。
――やっと死ねる(まだ、死にたくない)

「……何がおかしい?」
「いや、何もおかしくはねえよ……俺みたいなクズには当然の末路だ」

本の中でいろいろな人に揉みくちゃにされて、鋭くしていたつもりのトゲは、随分と先が丸まってろくに使えなくなった。それほどまでに居心地が良かった。自分のようなひとを好いてくれたひともいた、――せめて、

「勇者さんみたいな人には、俺のしてきたことはどれもこれも許せないんだろうな」
「当然だ。よく分かっているじゃないか、だからこそ」

死を以って償え、それがお前に残された唯一の道だ。
躊躇いなく吐かれる言葉には冗談の色は見えず、改めて自分に逃げ場がないことを悟った。ここであの剣から逃げ遂せたとして、次に襲ってくるのはナイフだ。

「……はは、お前みたいなかっこいい勇者さんにはお似合いの台詞だな」

せめて。
あの、白いのに、

「それはどうも。――お話は終わりだ、フェデルタさん。……フェデルタ・アートルム」
「……!」

地を蹴る足音がする。
振り向きざまに握っていたハンドガンを向けて、牽制で一発放った弾丸は、金属に弾かれた音がした。

「……こんな死にたがりのおっさん相手に本気でご苦労なこった」

声が震えた。まだ間合いで有利な距離の相手を見て、身が竦む。
今からこの男にきっと殺される。歴戦の勇者相手に自分がどこまで足掻けるのか、むしろどこまで足掻いていいのか。
致命傷とまでは行かなくても一撃くらいは与えてやらないと気がすまないなと思う一方で、彼を待つ彼女のことがすっと脳裏を過る。それこそあの子の方が、何をしてでも自分を殺しに来るような結果にしてしまっても、――祝いの場に居合わせた身として、それはやっていいことなのか。こんなことで迷うなんて。

「……俺も変わっちまったなあ……、……来いよ勇者さん、相手してやるよ!」

構えたハンドガンが火を噴いた。

「……ッ!!」

数発ろくに狙いも付けずに放たれた弾丸のうち、一発がアルキメンデスの左肩を掠める。それで怯むような彼ではなく、素早く距離を詰めてきた勢いのまま、恐ろしいほど的確な軌道で振りぬかれた剣が、フェデルタのハンドガンを弾き飛ばす。
想定済みの行動だったとは言え、その勢いに押される。なんとかナイフを引き抜いたところで足に衝撃が走って視界が激しく動いた。足払いを掛けられたことに気づくまで数秒、ろくに受け身も取れないままに地面に叩きつけられる。何もしなければいいのに、とっさに迫る鈍色にナイフを向けた。
金属のぶつかり合う音の向こう側に、青色が見える。端正な顔立ちの向こう側に、静かな狂気が揺らめいている。

「死にたがりって言う割に抵抗はするんだな」
「……ッぐ、あ」

一旦引かれた剣の二撃目に対処しようと身構える間もなく、腹を蹴られて身動きがとれなくなる。
ああ、死ぬ。死ぬんだ。――せめて少しでも、

「お前があんな、クズ野郎だとは思わなかったよ――」

振り下ろされる剣の切っ先が、随分とゆっくりに見えた。

「ッ、は……! だったら、ユーエに何かしてやったほうがよかったか?俺があいつにしたみたいに、捕まえてぶち犯して――がッ、は、あ」
「……それ以上話してみろ、」

何故今、こんなことを言おうと思ったのか。殺される現実が眼前にあって、何か箍が外れたのかもしれない、いや、きっと、躊躇いなく殺して欲しくて、恐ろしいぐらいに口が回った。
勇者の目の色が明らかに変わって、振り下ろされた剣はフェデルタの右肩を貫く。上から降ってくる視線は、もはやヒトを見る目ではなかった。
それでいい。今ここにいるのは二人を祝って、(多少悪ふざけはしたけれど)共に戦ったフェデルタ・アートルムという男ではない。彼の思う悪人のラインに触れた一人の男でしかない。
だから、

「どうせ殺すんだろ、関係ないだろ、あいつは胸もでかいからな、ちょっと仕込んでやればすぐ買い手が――」
「――黙れ!!」

再びフェデルタに突き立てられた剣は、彼の喉をぶち抜く。吐き出されようとした言葉を両断したその刃を、今度は心臓に突き立てた。
ろくでもない男だった。よくもあんなことが言えたものだ、聞きたくもない、考えたくもない、そもそも彼女が自分の手から離れてそんなことになるなんて、あり得ない。自分が絶対に守るからだ。

「……クソ、クソッ」

最低の気分だった。
アルキメンデスは剣についた血を払うと、足早にその場を立ち去った。


その日、どうしてか普段歩かないようなところまで街を歩いたのは、今思うと何か予感があったからなのかもしれない。
買い物帰りのリタ・バークレーは、見たことのある男とすれ違う。――親友の一番大切な人。

「あら、アルさん?」
「――」

相手が呼びかけに応えることはなく、そのまま足早に歩き去って行ってしまう。なにか嫌なことでもあったのか、その表情は不機嫌そうだったけれど、それ以上に鼻を突いたにおいがある。

「(――血だ)」

心がざわめくにおい。嫌な予感が全身を支配して、迷わず彼の歩いてきた方向に足を進めた。
別に気にすることでないのかもしれないけれど、今日はどうしてだかそういう気分で、とにかく心に引っかかって、確かめずにはいられなかった。通りすぎてしまいそうな裏路地の入り口が気になって、よく見れば足跡が残っていて、立ち入ることに躊躇いはなかった。
――血のにおいが強まる。

「……何かあったのかしら」

足早に駆けていった先、何かが倒れている。
それがよく知る顔であることに気づくのに、時間はかからなかった。赤いコートの、

「……、……お、お父様……? お父様!?」

そこら一帯を赤黒く染めていたのは育ての親だ。まさか、二度目を、見ることになるなんて?
妙に冷静な頭の中で、ついさっきすれ違った相手のことが嫌に鮮明に蘇った。血のにおいを漂わせた男。得物は剣。ついている傷はどれも刺し傷。

「――ぁ、……」

一番そうであってほしくない最悪の可能性しか頭に浮かばず、目の前がぐらぐらする。育ての親は死んだ。二度死んだ。それは、――仕方のない事だ、と、割り切ることはできる。そういうひとだったから。知る限りのことを思い描いても、殺されても仕方のない人だろうと、思っていた。
ただ、もし、可能性が事実だったとして、彼女の前でどんな顔をすればいいのか、分からない。

「……、……お父様……」

零れた声は嫌にドライだった。
現実をすとんと飲み込んで、次にするべきことがぱっと明確になる。それがせめてもの、育ての親に自分ができることだ。



――正直なことを言うと、血のにおいを纏って帰ってこられると酷く心がざわついて、それが何由来のものなのかにしても、とても心によろしくない。彼が傷ついたかどうかはともかく、そういう危ない場に一瞬でも身を置いたのは事実なのだから、なんというかとにかく辛いのだ。危ないことはしないで欲しい、それが一番の願いなのだ。
それを告げたらなんだか上の空な様子で「ああ、分かったよ……」とか言うから、なんだかあまり信用が置けない。きっとまたやられる。
せめて悟られないようにしてくれればいいのにと思う心と、何も隠さないでいて欲しいと思うあれそれがせめぎ合ってゆらゆら揺れて、あんまり気分は良くなかった。

「うー、あー……、……」

浮かない気分のままで街を行く、――そういえば最近見ない人がいる。

「……おじさんどうしてんのかな」

顔を突き合わせるたびに怒鳴り散らしたり煽ったり罵り合ったり、年上相手にやるような所業でないことを散々繰り返した相手に最近会わない。天罰でも食らって寝込んでいるのだろうか、そうだとしたら実にざまあみろだ。人のことをからかっているのが悪い。
ああでもお見舞いくらいは行ってやってもいいのかな、とは思ったものの、家の場所など知るわけがなかった。

「(――ああ、リタ、リタに聞けばきっと早いかな……)」

おとうさま、のことだ。それが一番早い。
別に気にするまでのことでもないのかも知れないが、どやす相手が見当たらないのはすこしばかり寂しかった。彼女のいそうなところ、たとえばよく二人で行って、他愛もない話をした喫茶店とか。一人でもよく行く、と言ってたから、きっと。
そう思って足を運んだ喫茶店の、いつも二人でかけた席とは違うテーブルに、探している人の姿はあった。知らないひとと一緒に。

「あっいた、……」

声をかけづらい雰囲気が取り巻いていて、その場に立ちすくむ。
泣いている白い髪の、……少女?と、そして探していた彼女が、そこにはいるのだけど。

「ごめんね、言うのが遅くなっちゃって」
「ひっう、ぐ、でも、……教えて、くれて、ありがとうございます、うえっ、……、……でも、どうして……」

どうしてフェデルタさんが。
そう続いた言葉に何故かいてもたってもいられなくなり(――別に放っといてもいいのに)、声をかける。

「リタ」
「……! ユーエ……」

曖昧に微笑んだ彼女は、何故か目を合わせてくれない。

「おじさん、どうかしたの?」
「お父様は、……」

以前人の死を話題にした時のことを思い出して、ふっと言葉に詰まった。ユーエは人の死に対しての感覚が妙に希薄で、今目の前で泣いているゾルトゥの神経を逆なでしたりしやしないか、ちょっとだけ不安になる。
それでも聞かれたことには答えないといけない、何だかんだで彼女とは仲が良かったんだろうから。

「……お父様は、死んだわ、……誰かに、殺されたみたい」
「……フェデルタさん、死んだの」

案の定ゾルトゥとは全く異なるドライな反応が返ってきて、ゾルトゥが睨むような目でユーエを見ている。
それに気づいているのかいないのか、彼女はほんの少し目を伏せて、かくりと首を傾げて、零すように呟いた。

「……最近見ないから、天罰でも当たって寝込んでるのかと思ってた……、……死んだんだ」

あれがきっと、彼女が人前で見せられる最大限の悲しみの表現方法なのだろう、ユーエとよく話すようになってようやくリタが理解したことだ。一方で向かいの椅子のゾルトゥが、がたんと勢い良く立ち上がって、声を荒げる。

「……なんで……、なんで!そんなに、あなたは、……っ、ひとが、ひとり、死んでるのに、そんな、フェデルタさんは、もう、……っ、……ふぇ、で、るたさん、知り合いなんでしょ、なのに、どうして……、そんなに、……」
「……だから何」

あからさまにユーエの機嫌が悪くなったのが、見ずとも分かった。冷徹な声に怯んだゾルトゥが、我に返った様子で椅子に座りなおして縮こまる。

「……ユーエ、落ち着いて……、ゾルちゃんも、お父様と仲良かったから、……ね?」
「……そう、別にそれはいいの、――帰る」
「待ってユーエ、聞きたいことがあるの」

ちょっと待っててね、とゾルトゥに目配せして、リタは今にも帰ろうとするユーエを捕まえた。それから後ろのゾルトゥに聞こえないように、耳元でそっと囁いて問いかける、――アルさんは人を殺したりするような人なのか。
何でそんなことを聞くんだ、と言ったような彼女の返答は、首を横に振るだけだった。否定の意味かそれとも知らないという意味なのか、どちらにせよ彼女から得られるものはそれ以上にない。

「リタ、……お墓、作ったんならだけど、今度教えて」
「……うん。またね」

立ち去る彼女の背中を見送って、椅子にかけ直す。
疑っているわけじゃない。けれど、証拠が多すぎる。彼がどんな人なのかあまり良く知らないのもあるが、それ以外の人がああしたとは、どうにも考え難かったのだ。

「フェデルタさんは、……誰に、……殺され、たんだろう、……私、は、」
「……ゾルちゃん、だめよ、――復讐なんて、したって何にもならないから」

そうだったとして、これ以上波を立てたところで、誰も幸せにはなれない。彼女には幸せでいて欲しい、――自分よりはずっと、その権利があるだろうから。
思い描いていたことを言い抜かれたゾルトゥがまた嗚咽を零して、何もできない自分に無性に腹が立った。
きっと、これでいいはずなんだ。あの人は、お父様は、そうされて仕方のないひとだ。事実それで一度死んでいるのだから。



疲れた様子で帰ってきた彼をその胸に受け止めて、ユーエは実に率直に疑問を吐き出した。

「……アルは、ひとを殺したことって、あるの」
「……ああ」

その愛用の剣で、一体何人殺してきたのか、それを聞く勇気は彼女にはない。
もちろん当然のごとく、ごく最近そういうことをしたかなんて聞く勇気もない。

「どうしたんだ、急に……」
「……すこし、気になっただけ、……血のにおいがしたから、こないだ」

強く抱き締め返されて囁かれる、心配かけてごめんな、という言葉に、ふわりと脳髄が蕩けていく。
浮かんでいた疑問と、考えたくない可能性がじわりと溶けて、それきり消えた。

「俺は、ユーエを護るためだったら、躊躇はしないよ」
「……ありがとう」

それきりもう、何も考えない。
赤いコートを着た黒色に、再び会う道筋を断ったのが目の前の青だと知らずに、薄緑はその青に沈んだ。

20140731
貫くのは青色の勇者、泥濘に沈むのは黒の銃使い
おじさん殺したい病末期患者はこういうことをします(大抵の場合私は好きなキャラは一度くらい殺しておきたいのです)
カミヤさん、むし子さん、そしてロブがにさんありがとうございます。特にカミヤさんありがとうございます。
よそのこにひどいことするときは最大限の愛を以って、なのです。愛を以って殺すのです。