死線走りてさくら儚き

ゆらり ひらり はかなし
 そして彼女は 今日も一人、

――母は死んでしまった。わたしにはもう何もない

目が覚めた。
ぼんやりとした視界の端っこにカレンダーが目に入り、律儀に毎日つけていた丸の印が、途切れているのを確認した。
ああ、また、三日、目覚めなかったんだ。依頼が溜まっている、かもしれない。
ゆらゆら、覚束ない思考の中で、また死ねなかったのか、と、夢を思い返す。ひとが死ぬたびに夢を見る。死んでしまった人の代わりに、その鋭利な爪で引き裂かれるのは自分の夢。その業火に焼かれるのは自分の夢。踏みつけられて貪り食われるのは自分の、夢。背中がずきりと痛みこそすれど、それは致命傷には程遠かった。

なぜだか知らないが、いつだって致命傷を受けたことがない。

立ち回りがさして上手いわけでもなく(むしろどんくさいと罵られることすらある)、
武器裁きが上手いわけでもなく(今何とか戦えているのは、雌火竜の素材で作られた分解可能な大斧の、攻防一体の力が大きい)、
誰よりも力があるわけでもなく(むしろ非力な部類で、使っている大斧だって、できるかぎり軽くしてもらって、それでもなお重いくらいで、振り回せるのは属性解放したときくらいだ)、
あるのは、せめて足手まといにならないように、と詰め込んだ、いきものの知識しかない。
僅かな記述であっても網羅し、もし新たな情報が入れば当然それも、生態しかり、特徴しかり、なにもかもを頭に詰め込んで、それで危ういところを逃れたことは、一度だけではなく何度もある。
本当にそれしかなくて、それくらいしか頼られたことはない、気がする。大斧の重さに慣れないせいで、あんまり調子に乗っているとすぐ怪我をするから、ろくな火力にもなれない。

『運がいいんだよ』
『運も実力のうちさ、咲良乃』

そう言ってきた先輩は、自分の隣で、モンスターの鋭利な爪に首を跳ね飛ばされた。

『あなたなんて所詮運だけで生き残ってるんでしょう』

そう言ってきた後輩は、火竜の放つ業火に足を焼かれて、ハンターを引退した。

大きな獲物なんて狙わないで慎ましやかに、母親と二人で暮らしていける分だけ稼げれば、そう思って、――いや、正直、他にできることなんてなくて、学校もろくに行かなかった自分にはお似合いの汚れ仕事なのかもしれない、最悪死ぬことがあるっていうところに、学のある人間は飛び込まない。
それでもできるかぎり危ない仕事は避けてきて、できるかぎり血腥いことはしなくてすむようなそんな依頼ばかりこなしていたおかげで、組合内部での評価は低いところを突っ走り、それでもいいや、と思っていた、のに。
大斧を手渡されて言われた言葉を今でも覚えている、

『人手が足りないんだ、力を貸してくれないか』

大型モンスターの討伐に、人手が足りないんだ、と、渡された大斧は重くてとても振り回せるシロモノではなく、それを理由に断ろうとしたら軽量化を施されて押し付けられ、あとはもう、流れだ。
血腥いところへ。死と隣合わせの。それが17のときで、――ああ、今でもその選択は死ぬほど後悔している、

それから半年、18になって、初めて大怪我らしい大怪我を負って、しばらく意識を失っていた時に、母親が死んだ。
看取るどころか見送ることすら許されず、目覚めて家に帰った頃には、そこに母親の影も形もなく、二人で暮らしていた時ですら広すぎると感じた家だけが、そこにあった。
気が狂うかと思った。
わたしはこれからどうしていけばいいんだろうと思った。
死ぬしかないんじゃないかと思った。
――そう、だから、

それきり、すっかり大型モンスターの討伐ばかりを、している。
いつか死ねる。きっといつか、わたしの首が飛ぶ。いつかわたしの身が焼かれる。いつか踏み砕かれて、食われる。
そう信じて大斧を振るううちに、随分斧は軽くなった。
わたしにはもう何もない。父はどうしているのだろう、姉はどうしているのだろう、分からない。――知りたいとも思わない。今はただ、死にたい。
自分で自分を手に掛けるには、勇気が足りなさすぎた。それは何度もやろうとした。踏み切るスタートラインにすら立てなかった。それだったら他者から殺してもらうのが一番楽で、そして幸いにも自分はそれを比較的すぐに行ってもらえる環境に、いる。
そう思うようになってから随分と、咲良乃は変わったなあ、だの、言われるようになった気がするけど、そんなのわたしの知ったことではない。わたしが変わったとか変わらないとかどうでもいい。わたしはただ、死にたい、それだけだ。

「――ああ」

でもなぜか、どうやら3日振りくらいに目覚めてみれば、妙にすっきりした気分でいるのだ。いつもそうだ。死にたいことに変わりはないのだけど。
まだ生きていてもいいか、そんなような気分で、いつだって目覚める。帰ってくればまた、一人の家がどうしようもなく辛くて、死にたくなるのだろうけど。常にそんなループを、繰り返している。その間に狩りに行くなり、図書館に行くなりして、そうやって変化のない一日が繰り返されている。
大型討伐のたびに背中やら足やらに傷を増やして、女の子なのに、などと心配されて、――わたしにはどうせ、女の子なのに、なんて懸念を抱かせるような事象は発生しない。その前に死ぬからだ。女の子だとかそういう概念を脱ぎ捨ててただの肉塊に成り果てて死ぬつもりでいる。そんな相手を好き好むような奴など、いるわけがない。

「……早く、死にたいなあ」

譫言のように呟いて、大斧を担いだ。






20140309
望んで死線に近寄る咲良乃はいつ散ってもおかしくなさそうなそれ。

20くらいの一番すれていた頃。中身は16歳位のクソガキ程度でしかなかった。